INPACT 荘子の名言

荘子の名言

荘子

中国戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。姓は荘、名は周。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが中国文学、中国哲学関係者の習慣となっている。

荘子については複数のテキストや説が存在するが、それらの信頼性には様々な疑義があり、また相互に矛盾する記述もあるため、詳らかでない。

たとえば『史記』巻63には荘子の伝があるが、これは司馬遷が当時の寓言を多く含む『荘子』から引いたものと推定されており、池田知久は「司馬遷が思想家たちの作ったフィクションを材料にして書いた荘子の伝記」と述べている。

その他、『呂氏春秋』や『荀子』などにも記述が見られるが、いずれも『荘子』の影響を強く受けている。


Zhuangzi

荘子

中国の戦国時代の思想家、道教の始祖の一人とされる。荘子の思想は無為自然を基本とし、人為を忌み嫌うものである。老子は政治色が色濃いのに比べ、荘子は一貫して俗世間を離れ無為の世界に遊ぶ姿勢になっている。
国: 中国(宋国の蒙)
生: 紀元前369年(推定)
没: 紀元前286年(推定)

荘子の名言

窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。楽しむ所は窮通に非ざるなり。

人は皆、有用の用を知るも、無用の用を知らず。

明鏡止水(めいきょうしすい)

【意味】
曇りのない鏡と波立たない水のように、心にやましい点がなく、澄みきっていること。

徳をもって人に分かつ、これを聖という。財をもって人に分かつ、これを賢という。

面と向って人を褒めたがるやつは、影に回ると悪口を言いたがる。

君子の交わりは淡きこと水のごとし、小人の交わりは甘きこと醴のごとし。

※醴とは、現在の甘酒のようなもの

力足らざれば偽り、知足らざれば欺き、財足らざれば盗む。

犬はよく吠ゆるを以って良とせず、人はよく話すを以って賢とせず。

功を以て人に勝つことなかれ。謀を以て人に勝つことなかれ。戦を以て人に勝つことなかれ。

道は小成に隠れ、言は栄華に隠る。

井の中の蛙、大海を知らず。

其の愚を知る者は、大愚にあらざるなり。其の惑を知る者は、大惑にあらざるなり。大惑なる者は終身解せず、大愚なの者は終身霊ならず。

敬を以てする孝は易く、愛を以てする孝は難し。親を忘るるは易きも、親をして我を忘れしむるは難し。

駿馬は一日に千里走ることができるが、鼠を捕まえることでは猫にはかなわない。

命長ければ、恥多し。

【意味】
長生きするほど、何かにつけ恥をかくことも多い。

人の適を適として、自ら其適を適とせざる者なり。

聖人なる者は天地の美に基づきて万物の理に達する。

いかなる人も夢を見ている限り、それが夢であることに気づかない。

その耆欲、深き者は、その天機、浅し。

将(おく)らず迎えず、応じて蔵(おさ)めず。

管(くだ)を用いて天をうかがい、錐(きり)を用いて地を指すなり。

至楽は楽しみなく、至誉は誉れなし。

自然には差別はなく、命は等しい。

その生や浮かぶごとく、その死や休(いこ)うがごとし。

– END –