INPACT ニーチェの名言

フリードリヒ・ニーチェの名言

フリードリヒ・ニーチェ

ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、哲学教授職を希望しつつも、バーゼル大学古典文献学教授となり、辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。

1844年10月15日、プロイセン王国領ライプツィヒ近郊の小村に生まれる。父はルター派の裕福な牧師であった。1846年には妹が、1848年には弟が生まれている。

父はニーチェが5歳の時に過去の怪我が原因で亡くなった。それを追うように、2歳の弟も病死。一家は父方の祖母らを頼ってナウムブルクに移住した。

ニーチェは6歳になる前に小学校に入学。10歳で中等教育機関へ入学。その後、ニーチェの音楽と国語の優れた才能の噂を聞いた名門校プフォルタ学院から給費生として誘いがあり、転学。古代ギリシアやローマの古典・哲学・文学等を学んだ。

1864年にプフォルター学院を卒業、ボン大学へ進学し、神学部と哲学部に籍を置く。神学部に籍を置いたのは、母がニーチェに父の後をついで牧師になることを願っていたための配慮だったとされる。しかし、最初の学期を終える頃には、信仰を放棄して神学の勉強も止めたことを母に告げ、大喧嘩をしている。

ボン大学では、古典文献学の研究者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに師事。リッチュルがライプツィヒ大学へ転属となり、ニーチェもライプツィヒ大学へ転学。

ライプツィヒ大学在学中、ニーチェの思想形成に大きな影響を与えた二つの出会いがあった。ひとつは、古本屋でドイツの哲学者ショーペンハウアー(1788~1860)の『意志と表象としての世界』を偶然購入し、この書の虜となったこと。もうひとつは、リッチュルの紹介で、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)と面識を得たことである。

24歳のニーチェは博士号も教員資格も取得していなかったが、リッチュルの強い推挙により、スイスのバーゼル大学から古典文献学の教授として招聘される。本人は哲学の担当を希望したが受け入れられず、古代ギリシアに関する古典文献学を専門とした。バーゼルへ赴任するにあたり、ニーチェはスイス国籍の取得を考え、プロイセン国籍を放棄。これ以後、ニーチェは終生無国籍者として生きた。

1872年、ニーチェは『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(『悲劇の誕生』)を出版。しかし、厳密な古典文献学的手法を用いず哲学的な推論に頼ったこの本への賛意を表すものはおらず、ニーチェの講義からは古典文献学専攻の学生が姿を消し、孤立したニーチェは哲学科への異動を希望するが認められなかった。

1879年、激しい頭痛を伴う病によって体調を崩す。仕事に支障をきたすまでになったため、10年目にして大学を辞職。以後は執筆活動に専念した。ニーチェの哲学的著作の多くは、教壇を降りたのちに書かれたものである。

1881年に『曙光:道徳的先入観についての感想』を、翌年には『悦ばしき知識』の第1部を発表。またこの年、ルー・ザロメと知り合う。ニーチェはザロメと恋に落ち、ザロメに求婚するが返事はつれないものだった。

失恋による傷心、病気による発作の再発、ザロメをめぐって母や妹と不和になったための孤独、自殺願望にとりつかれた苦悩などの一切から解放されるため、ニーチェはイタリアのラパッロへ逃れ、そこでわずか10日間のうちに『ツァラトゥストラはかく語りき』の第1部を書き上げる。

1889年1月、ニーチェはトリノ市の往来で騒動を引き起し、警察の厄介になった。その後、ニーチェから意味不明の手紙を受け取った友人たちは、ニーチェを精神病院へ入院させる。母は1890年3月にニーチェを退院させ、ナウムブルクの実家に彼を連れ戻した。

1900年8月25日、ニーチェは肺炎を患って55歳の生涯を終えた。ニーチェの哲学は、それ以後の文学・哲学に多大な影響を与え、実存主義の先駆者、生の哲学の哲学者と称される。


Friedrich Nietzsche

フリードリヒ・ニーチェ

哲学者、古典文献学者。鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者と称される。
国: ドイツ
生: 1844年10月15日
没: 1900年8月25日(享年55)

フリードリヒ・ニーチェの名言

孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ。

愛が恐れているのは、愛の破滅よりも、むしろ、愛の変化である。

私はあなたに助言する。友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな!

経験は、経験に対する欲望のように消えることはない。私たちは経験を積む間は、自らを探求しようとしてはいけない。

考え過ぎたことはすべて問題になる。

男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。男が女を愛するのは、それがもっとも危険な遊びであるからだ。

目的を忘れることは、愚かな人間にもっともありがちなことだ。

結婚するときはこう自問せよ。「年をとってもこの相手と会話ができるだろうか」そのほかは年月がたてばいずれ変化することだ。

若者を確実に堕落させる方法がある。違う思想を持つ者よりも同じ思想を持つ者を尊重するように指導することである。

人が意見に反対するときはだいたいその伝え方が気に食わないときである。

悪とは何か? – 弱さから生じるすべてのものだ。

人々はあなたの美徳によってあなたを罰し、あなたの過ちによってあなたを許す。

愛の終わりはいつも善悪を越えたところで起こる。

成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味をふたたび見出したことである。

自分について多くを語ることは、自分を隠す一つの手段となり得る。

私を破壊するに至らないすべてのことが、私をさらに強くする。

信念は、真実にとって嘘よりも危険な敵である。

脱皮できない蛇は滅びる。その意見を取り替えていくことを妨げられた精神たちも同様だ。それは精神ではなくなる。

我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。

人間は恋をしている時には、他のいかなる時よりも、じっとよく耐える。つまり、すべてのことを甘受するのである。

到達された自由のしるしは何か? – もはや自分自身に対して恥じないこと。

死後に生まれる人もいる。

本当の世界は想像よりもはるかに小さい。

怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう、気をつけるべきだろう。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ。

いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、まず立ちあがり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。

天国には興味深い人たちが一人もいない。

「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。

軽蔑すべき者を敵として選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない。

君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ。

およそこの世の中で、怒りという激情ほど、男性の精カをあれっと思うほど急速に消耗させるものはない。

いったん選んだ道に関して頑張る人は多い。目標に関してそうする人は少ない。

われわれに関する他人の悪評は、しばしば本当は我々に当てられているのではなく、まったく別の理由から出る腹立ちや不機嫌の表明なのである。

愛せなければ通過せよ。

人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある。

人は何を笑いの対象にするかで、その人の人格がわかる。

人生に対してもっと大きい信頼を寄せているなら、おまえたちはこれほど瞬間に身を委ねることもないだろうに。

人は自分の認識を他人に伝えると、もはやその認識を前ほどには愛さなくなる。

孤独な者よ、君は創造者の道を行く。

忘却はよりよき前進を生む。

一切の書かれたもののうち、私はただ、その人がその血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。君は、血が精神であることを知るだろう。

樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし実際には種なのだ。

世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。

心の中に未来にふさわしいビジョンを描け。そして、自分を過去の末裔であるという迷信を忘れるんだ。あの未来の生を思い巡らせば、工夫し、発明すべきものが限りなくある。

友への同情は、堅い殻の下にひそんでいるのがいい。

どちらも相手を通して、自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするような場合である。

友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。

大きな苦痛こそ精神の最後の解放者である。この苦痛のみが、われわれを最後の深みに至らせる。

繊細な魂は、誰かが自分に感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。粗野な魂は、自分が誰かに感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。

足下を掘れ、そこに泉あり。

悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。

多く考える人は党員には向かない。というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。

話題に窮したときに、自分の友人の秘密を暴露しない者は稀である。

すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。

夢想家は自分自身に嘘をつくが、嘘つきは他人にだけ嘘をつく。

過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。

高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ。高い所へは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない。

昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか。

独創的 – 何か新しいものを初めて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、真に独創的な頭脳の証拠である。

悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、われわれ自身の享楽を目的とする。

よい評判を得るために自己を犠牲にしなかった人が何人いるだろう?

たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい。

ある巨匠の作品を演奏するピアニストが、その巨匠を忘れさせて、まるで自分の生涯の物語を語っているとか、まさに何か体験しているふうに見えたとき、最もうまく弾いたことになろう。

論争に応ずる場合には、双方にとっていちばん不愉快なやり口は、立腹して黙っていることである。というのは、攻撃者側は一般的に沈黙を軽蔑のしるしと考えるからである。

静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。だが、それこそ、考えるということではないか!

表にはさながら悪意のごとく振舞う、気位の高い慈愛もある。

人生は常に頂上に近づくほど困難が増してくる。寒さは厳しくなり責任は重くなる。

真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての”真実”の疑いから始まる。

恋愛感情の中には、いつも若干の狂気が潜んでいる。とは言っても、狂気の中にもまた、いつも若干の理性が潜んでいるものである。

毎日少なくとも一回、何か小さなことを断念しなければ、毎日は下手に使われ、翌日も駄目になるおそれがある。

ある程度までのところ、所有が人間をいっそう独立的に自由にするが、一段と進むと所有が主人となり、所有者が奴隷となる。

いい手本を示そうとする者は、自分の徳に微量の馬鹿げたところを添えなくてはならぬ。すると人は見習って、同時にその模範を眼下に見下ろす – これが人々の好むところである。

一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている。

愛されたいという要求は、自惚れの最たるものである。

真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての“真実”の疑いから始まる。

自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。

われわれ一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。

男の幸せは「われ欲す」、女の幸せは「彼欲す」ということである。

過小評価するより過大評価する方が、判断力の欠如を完璧に暴露してしまう。

本をめくることばかりしている学者は、ついにはものを考える能力をまったく喪失する。本をめくらないときには考えない。

不当に非難することより不当に称賛してしまうことの方が、良心の呵責を呼び起こす。

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。

一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。

自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。

真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。

半可通は全知よりも圧倒的勝利を博する。それは物事を実際よりも単純に理解し、そのために彼の意見の方が分かりやすい説得力のあるものとなる。

真の男のなかにはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。

いつも大きすぎる課題を負わされてきたために、才能が実際よりも乏しく見える人が少なくない。

人は賞讃し、あるいは、けなす事ができるが、永久に理解しない。

結婚とは、幻想を父とし、必要性を母として生まれるものである。

人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。なぜなら、感情は気まぐれだからである。

男たちは、自分の職業がほかのいかなる職業よりも大切だと信ずるか、自分で思いこませる以外に、その職業を持ちこたえることはまず出来ない。

この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである。

あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。

あなたにとってもっとも人間的なこと。それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。

善にも強ければ、悪にも強いというのが、もっとも強力な力である。

轢かれる危険が最も多いのは、ちょうど一つの車を避けた時である。

われわれは、批評せずには生きていられないが、自分の批評を批評せずとも生きていられる。

みずから敵の間へ躍り込んでいくのは、臆病の証拠であるかもしれない。

われわれが広々とした自然にこれほどいたがるのは、自然がわれわれに関してなんら意見をもっていないからである。

他の人に懺悔してしまうと、当人は自己の罪は忘れるが、たいてい相手の人はそれを忘れない。

夫婦生活は長い会話である。

復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。

母親は息子の友人が成功すると妬む。母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである。

– END –