INPACT イマヌエル・カント

イマヌエル・カントの名言

イマヌエル・カント

ドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。

1724年4月22日、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)の馬具職人の四男として生まれる。カントは生涯のほとんどをこの地で過ごした。

カントの両親はルター派の敬虔主義を奉じていたため、カントはその濃厚な影響のもとに育ったという。

1740年、カントは16歳でケーニヒスベルク大学に入学。当初は神学を志したが、ニュートン(1642~1727)の活躍などで発展を遂げつつあった自然学に関心が向かい、哲学教授の影響のもと、ライプニッツ(1646~1716)やニュートンの自然学を研究した。

1746年、カントが22歳のときに父が死去。学費が続かなくなったカントは大学を去る。

その後の7年間はカントにとっては苦しい時期で、ケーニヒスベルク郊外で家庭教師をして生計をたてていた。

1755年、31歳のカントは最初の論文で太陽系は星雲から生成されたと論証。また、ケーニヒスベルク大学哲学部に学位論文を提出し、学位を取得。同大学の私講師として職業的哲学者の生活に入る。

1770年、46歳のカントにケーニヒスベルク大学から哲学教授としての招聘がある。カントは引退までこの職にとどまった。

1781年、57歳のカントは『純粋理性批判』を発表。その難解さと斬新な思想のために同時代の読者に正しく理解されず、さまざまな議論が起こり、カントはドイツ哲学界の喧騒にみちた論争の渦中に入り込んだ。

続いてカントは1788年に『実践理性批判』、1790年に『判断力批判』を発表。これらを総称し「三批判書」と呼ぶ。

カントは哲学的論争の渦中にいたがその学者人生は順調であり、晩年にはケーニヒスベルク大学総長を務めた。

1804年2月12日、カントは79年の生涯を閉じた。

規則正しい人
カントは規則正しい生活習慣で知られる。決まった道筋を決まった時間に散歩。時間が正確なので、人々はカントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。ある日いつもの時間にカントが散歩に出てこないので、人々は何かあったのかと騒ぎになった。

その日、カントはルソー(1712~1778)の『エミール』を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのである。カントは「わたしの誤りをルソーが正してくれた。目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と述べている。


Immanuel Kant

イマヌエル・カント


ドイツの哲学者。ドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。
国: ドイツ(東プロイセン・ケーニヒスベルク / 現在のロシア領カリーニングラード)
生: 1724年4月22日
没: 1804年2月12日(享年79)

イマヌエル・カントの名言

崇高なものは我々を感動させ、美しいものは我々を魅了する。森は夜崇高であり、昼美しい。

哲学は学べない。学べるのは哲学することだけである。

真面目に恋をする男は、恋人の前では困惑したり拙劣であり、愛嬌もろくにないものである。

内容のない思考は空虚であり、概念のない直観は盲目である。

すべての知識は経験に基づく。

あらゆる事物は価値を持っているが、人間は尊厳を有している。人間は決して目的のための手段にされてはならない。

徳にとってまず要求されることは、自己自身を支配することである。

人間はすべて、文明が進めば進むほど俳優になっていく。つまり、人間は他人に対する尊敬と好意、典雅と無私の風を装うが、それにたぶらかされる人はいない。

動物に対して残酷な人は、人間関係においても容赦ない。我々は動物の扱い方によって、その人の心を判断することができる。

我が行いを見習えと、誰にでも言い得るよう行為せよ。

科学とは体系化された知識で、知恵とは整理された生活である。

高慢な人は常に心の底では卑劣である。

互いに自由を妨げない範囲において、我が自由を拡張すること、これが自由の法則である。

友情関係は同等関係である。

笑いは消化を助ける。胃散よりはるかに効く。

宗教とは、我々の義務のすべてを神の命令とみなすことである。

最も平安な、そして純粋な喜びの一つは、労働をした後の休息である。

酒は口を軽快にする。だが、酒はさらに心を打ち明けさせる。こうして酒はひとつの道徳的性質、つまり心の率直さを運ぶ物質である。

人が財産を使うに際しては、慎重さとためらいとがある。それは善行ではないし、手腕も能力も必要とはしない。

自由とは、すべての特権を有効に発揮させる特権である。

何度も繰り返し長い時間をかけて考えれば考えるほど、いつも新たな、いよいよ強い感嘆と畏敬とで心をみたすものが二つある。私の上なる星空と私の内なる道徳法則とである。

善行はこれを他人に施すものではない。これをもって自分自身の義務を済ますのである。

我は孤独である。我は自由である。我は我みずからの王である。

人は人によりてのみ人となり得べし、人より教育の結果を取り除けば無とならん。

教育は人間に課すことのできる最も大きい、難しい問題である。

努力によって得られる習慣だけが善である。

民主政治は専制政体と変わらない。なぜならば、民主政治とは全員がひとりの意志を無視し、時にはこれに逆らって議決し得る。という全員ならぬ全員が議決し得る執行権を認めるからである。

苦悩は活動への拍車である。そして活動の中にのみ我々は我々の生命を感じる。

1.私は何を知りうるか。2.私は何を為すべきか。3.私は何を望むのがよいか。4.人間とは何か。 第一の問いに答えるのは形而上学であり、第二の問いには道徳、第三の問いには宗教、第四の問いには人間学が答える。結局これらすべては人間学に含ませてよいであろう。なぜなら最初の三つの問いは最後の問いに関連しているからだ。

暗黒のなかでは、我々の想像力は明るい光におけるよりもたくましく働くのを常とする。

法律においては、他人の権利を侵害する時には罰せられる。道徳においては、侵害しようと考えるだけで罪である。

あらゆる宗教は道徳をその前提とする。

真の人間性に最もよく調和する愉しみは、よき仲間との愉しい食事である。

我々は光のもとで暗闇を、幸福のもとで悲惨を、満足のもとで苦痛を思い起こすことはまれである。しかし、その逆はいつもである。

美には客観的な原理はない。

天才は生得の心の素質であり、これによって自然は芸術に規則を与える。

愛とは感性に属する事柄であって、意欲に属する事柄ではない。だから、欲したからといって愛せるわけではないし、ましてや愛さねばと思ったから愛せるわけでもない。

– END –