INPACT ラルフ・ワルド・エマーソンの名言

ラルフ・ワルド・エマーソンの名言

ラルフ・ワルド・エマーソン

アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイスト。プラトン、カント、東洋哲学などを吸収した独自の思想は、ソローやニーチェ、日本では宮沢賢治や福沢諭吉など古今東西の思想家や詩人、文学者に影響を与えた。

エマーソンは1803年5月25日、マサチューセッツ州ボストンに生まれた。両親はルース・ハスキンスと、プロテスタントの一派であるユニテリアン派の聖職者であるレフ・ウィリアム・エマーソンである。彼は母方の伯父ラルフと父方の祖祖母レベッカ・ワルドから名付けられた。エマーソンは成人できた5人の息子達の2番目で、他の兄弟はウィリアム、エドワード、ロバート・バークレー、チャールズである。他の3人の子供達、フェーベ、ジョン・クラーク、マリー・カロリーヌは、成人する前に亡くなった。

1811年5月12日、8歳になる10日程前に、父が胃癌のため若くして他界した。エマーソンは一族の女性達に助けられながら、母親に養育された。叔母のマリー・ムーディ・エマーソンが、彼に特に深く影響を与えた。彼女は断続的に共に暮らし、1863年に亡くなるまでエマーソンと文通し続けた。

エマーソンの正規教育は、1812年、9歳の時、ボストンラテン語学校に始まった。1817年8月、14歳でハーバード大学に入学した。そこでは新入生の連絡係に任命され、不品行の学生を呼んで教員に伝えることが求められた。3年生の半ばからエマーソンは読んだ本のリストと、後に'Wide World'と呼ばれることになる、何冊もに及ぶ日記をつけ始めた。エマーソンは学費をまかなうために仕事もした。それには学生食堂のウエイター、マサチューセッツ州ウォルサムの伯父サムエルの元での臨時講師があった。4年時にエマーソンは、ミドルネームのワルドを使うことに決めた。 エマーソンは学級詩人としての慣例に習い、正式な卒業1ヶ月前の1821年8月29日、18歳の時、ハーバード大学卒業式で自作の詩を発表した。彼は学生として突出せず、59人の級友のちょうど中位で卒業した。

1826年、エマーソンは健康問題から温暖な気候を求めて移り住んだ。最初にサウスカロライナ州チャールストンに行ったが、十分な暖かさはなかった。そこでさらに南の、フロリダ州セントオーガスティンへ行った。そこで彼は長いこと浜辺を散策し、詩を書き始めた。セントオーガスティンにいる間に、ナポレオン・ボナパルトの甥アシーユ・ミュラ王子と知り合いになった。ミュラはわずか2歳年上で、彼らはとても親しくなった。二人は宗教、社会、哲学、政治についての啓発的な議論をした。エマーソンはミュラを、自身の知的教養における重要人物ととらえていた。

常に自分の内面に目を向け、自由と真理に生きることを求め、黒人奴隷制度に対しては反対の立場を貫いた。プラトン、カント、東洋の哲学などを吸収した独自の思想は、『ウォールデン(森の生活)』を著したH・D・ソローやニーチェ、日本では宮沢賢治や北村透谷、福沢諭吉など古今東西の思想家や詩人、文学者に影響を与えた。彼の残した多くの名言は、今も世界の成功哲学および自己啓発書で度々引用されている。「自己信頼」が収められた論文集『エッセイ 第一集』は1841年に刊行。


兄弟のなかでも最も凡庸な才能の持ち主とみられたエマソンが、劣等感や病弱など、数々の不幸を克服して、絶対的な自己信頼を強調する立場に到達するまでの、彼の歩みの刻々を、本書のなかにたどることが出来る。

Ralph Waldo Emerson

ラルフ・ワルド・エマーソン

思想家、哲学者、宗教家、作家、詩人。
国: 米国
生: 1803年5月25日
没: 1882年4月27日(享年78)

ラルフ・ワルド・エマーソンの名言

快活さと明るい気分というものは、使えば使うほど残りは多くなる。

恐怖は常に無知から生じる。

質問にたどり着いたなら、答えはすぐそこだ。

情熱なくして偉業が達成されたことはない。

成功したいのなら、人並み以上の努力をするのだ。

絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である。

嫉妬は無知のしるしであり、人真似は自殺行為である。

敷かれた道を進むより、道なきところに自ら道を築いて進め。

どんなに暗くても、星は輝いている。

英雄は普通の人より勇気があるのではなく、ただ五分間ほど勇気が長続きするだけである。

人を信頼しなさい。そうすれば人はあなたに正直になるだろう。素晴らしい人物として接しなさい。そうすれば素晴らしさを示してくれるだろう。

常に自分の恐れることをなせ。

幸福は香水のごときものである。人に振りかけると、自分にも必ずかかる。

人の賢さは、その人が何を望むかで計ることができる。

何をやろうとしても、あなたは間違っていると批判する者がいる。その批判が正しいと思わせる多くの困難がたちはだかる。計画を描き、最後まで実行するには、勇気がいる。

悪い人々に対する非難や拒絶によって、自分を浪費することがないように。むしろ善き人々の美徳を称えよう。

偉大であるということは、誤解されるということだ。

私が出会う人は皆、私より優れているところがある。

豊かな心がなければ、富は醜い物乞いでしかない。

偉大な栄光とは失敗しないことではない。失敗するたびに立ち上がることにある。

毎日毎日をきっぱりと終了せよ。あなたは全力を尽くしたのだから。

その日その日が一年中の最善の日である。

一粒の木の実は、いくつもの森を生む。

我々はそれぞれ、違う温度で沸騰する。

誰かに必要とされる人間であれ。

過去に何があり、未来に何があるかは些細なことだ。私たちの内部に何があるかに比べれば。

友人を得る唯一の方法は、自分がその人の友人になることである。

雑草とは何か?その美点がまだ発見されていない植物である。

どんな芸術家でも最初は素人だった。

他人とは、自分自身の心を読み取ることのできるレンズである。

自分が尊厳を守るのではなく、尊厳が自分を守るようにする。

自分に自信を失うと、世界中が自分に敵対する。

自分自身を最大限に利用しなさい。あなたにとって、あるのはそれだけなのですから。

重要なのは人生の長さではない。人生の深さだ。

新しい知恵が浮かばなかったら、古い知恵を上手に使う方法を見つけよ。

自分に何ができるかは、自分以外の者には分からない。いや、自分でもやってみるまではわからないものだ。

この世で幸福以上の何かを求める人は、幸福の分け前にあずからなくとも、不平を言ってはならない。

運を開く秘訣は、各人が持つ喜びの中にある。

愛らしさのない美は、餌のない釣り針である。

芸術家は自分の芸術の犠牲にならなければいけない。蜜蜂が自分の針に生命をかけるように、芸術家もそうでなければならない。

指輪や宝石は贈り物ではない。唯一の贈り物は、汝自身の一部を贈ることだ。

行動しなさい。そうすれば力が湧いてきます。

生活は簡素に、思想は高く。

貧しさは、貧しいと感じるところにある。

友情は神の楽園の中でも実を結ぶのが一番遅く、長い年月を経てようやく熟する果実である。

不正に対する感覚が鈍ること – それは、知性が浅はかな証拠である。

無人島で紳士たり得る人は、真の人なり。

心の奥底に達してあらゆる病を癒せる音楽、それは温かい言葉だ。

あなたが今、夢中になっているものを大切にしなさい。それはあなたが真に求めているものだから。

群衆の中にあっても孤独を守る人こそ、至高の人である。

不満は自負の欠乏であり、意志の衰弱である。

悲壮感は第三者の目に映り、苦しむ者の心にはない。

仕事の成功に対する報酬は、その仕事を成し遂げた、ということである。

金を払う相手は先生だが、実際に私の息子を教育してくれたのは生徒たちだ。

美しい姿は美しい顔に勝り、美しい行いは美しい姿に勝る。

当人が偉大になればいい。そうすれば恋のほうから必ずあとについてくる。

完全を求めることは、人間の心を悩ませるこの世で最悪の病である。

暗殺者は世界の歴史を変えなかった。

どんな人でも生きているかぎり存在の必要がある。

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