INPACT アリストテレスの名言

アリストテレスの名言

アリストテレス

ソクラテス、プラトンとともに西洋最大の哲学者の一人と見なされ、多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」と称される。

紀元前384年、マケドニア王国の支配下にあったバルカン半島南東部トラキア地方のギリシア人植民町に生まれる。

父はマケドニア王アミュンタス3世の侍医であったというが、アリストテレスは幼少にして両親を亡くし、義兄を後見人として少年期を過ごす。

紀元前367年、17歳のときに古代ギリシアの都市国家アテナイに移り、プラトンが主催する学園のアカデメイアに入門。アリストテレスは勉学に励み、師のプラトンから「学校の精神」と評された。

紀元前347年、アリストテレスが37歳のときにプラトンが亡くなると、アリストテレスは学園を辞してアテナイを去る。彼はアッソスの街へ移住し、そこで結婚する。

紀元前342年、42歳のとき、当時13歳であったマケドニア王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師となり、弁論術、文学、科学、医学、哲学を教えた。

紀元前336年にアレクサンドロスが王に即位。翌年、アリストテレスはアテナイに戻り、学園「リュケイオン」を開設する。弟子たちとは学園の歩廊(ペリパトス)を逍遥(そぞろ歩き、散歩)しながら議論を交わしたため、かれの学派は逍遥学派(ペリパトス学派)と呼ばれた。

紀元前323年にアレクサンドロス大王が死去。その後、アテナイで反マケドニアの風潮が高まり、王の家庭教師であったアリストテレスは追放の身となる。彼は母方の故郷カルキスに身を寄せるが、そこで病に倒れ、紀元前322年3月7日、アリストテレスは62年の生涯を閉じた。

アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシア語ではこれをフィロソフィア(Philosophia)と呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパ各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。

古代民主制国家の下で発展したギリシア弁論術の精華.著者は弁論術を,あらゆる場合にその問題に見合った説得手段を見つけ出す能力――と定義,師プラトンが経験による〈慣れ〉にすぎないとした従来の弁論術も,その成功の原因を観察し,方法化することによって〈技術〉として成立させ得ると主張する.明解で読みやすい新訳.


プラトンとならぶ古代ギリシア哲学の巨人アリストテレス。彼はのちのヨーロッパ哲学に影響を与えただけではない。いわゆる三段論法を中心とする形式論理学の基礎を築き、具体・抽象、普遍・個別、可能・現実といった概念を創始して、近代自然科学の発展をささえる知の総合的な枠組をつくりあげた。われわれがさまざまな事柄を考える際の思考法そのものに関わる問題を、彼はどのように追求していったのか。本書は、そのねばりづよい知の探求の軌跡をたどるアリストテレス再発見の試みである。

Aristotle

アリストテレス

古代ギリシアの哲学者。
国: 古代ギリシア(トラキア地方スタゲイロスにて出生)
生: 紀元前384年
没: 紀元前322年3月7日(享年62)

アリストテレスの名言

人間は、目標を追い求める動物である。目標へ到達しようと努力することによってのみ、人生が意味あるものとなる。

人は物事を繰り返す存在である。従って、優秀さとは行動によって得られる物ではない。習慣になっていなければならないのだ。

勇気は人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるから。

幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである。

威厳とは、名誉を得ているという事ではなく、名誉に値するという事から成る。

一羽のツバメが来ても夏にはならないし、一日で夏になることもない。このように、一日もしくは短い時間で人は幸福にも幸運にもなりはしない。

最大の美徳は、他人の役の立てることだ。

知覚することは、苦しむことだ。

革命は、些細なことではない。しかし、些細なことから起こる。

働く喜びが仕事を完璧なものにする。

恥は、若者にとって名誉であり、老人には屈辱である。

教育の根は苦いが、その果実は甘い。

私は、敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者の方を、より勇者と見る。自らに勝つことこそ、最も難しい勝利だからだ。

受け入れずして思想をたしなむことができれば、それが教育された精神の証である。

優秀さは訓練と習慣の賜物である。私たちは美徳と優秀さを持っているから正しく行動するのではない。むしろ正しく行動するから美徳と優秀さを持つ事ができるのである。

何かを学ぶとき、実際にそれを行なうことによって我々は学ぶ。

友人がいなければ、誰も生きることを選ばないだろう。たとえ、他のあらゆるものが手に入っても。

希望とは、目覚めていて抱く夢をいう。

不幸は、本当の友人でない者を明らかにする。

多数の友を持つ者は、一人の友も持たない。

時間は、物事を砕く。すべては時間の力のもとに成長し、時間の経過とともに忘れ去られる。

自然には何の無駄もない。

知る者は行い、理解する者は教える。

我々が知覚していることや考えていることを意識することは、我々自身の存在を意識することだ。

幸せかどうかは、自分次第である。

人に従うことを知らないものは、よき指導者になりえない。

友情とは、二つの肉体に宿る一つの魂のことである。

母親は、夫よりも自分の子供の方を好む、何故ならば、彼らは自分のものであることがより確かであるから。

始めうまくいったものは半分できたも同然。

誰でも怒ることはできる、それは簡単なことだ。しかし、正しい人に、正しい程度に、正しい時に、正しい目的、正しい方法で怒ること、それは簡単ではない。

すべての者は生まれながらに知恵を求める。

引っ込み思案は、若者には美点になるが、年配には欠点でしかない。

芸術が目指すのは、ものの外見ではなく、内にある本質である。

愛とは、二つの肉体に宿る一つの魂で形作られる。

若者は簡単に騙される。何故なら、すぐに信じるからだ。

唯一の安定状態は、法律の前に全ての人間は平等ということ。

我々の性格は、我々の行動の結果なり。

愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する。

高潔な人は恩恵を施すことを好むが、恩恵を施されることを恥じる。

生まれの良い人、権勢のある人、富裕な人は、名誉を受けるに値するとみなされている。だが本当は、善い人だけが名誉を受けるに値するのである。

肉体的快楽は、刺激の強きものゆえ、他の快楽を楽しむ能力なき人々によりて追求さる。

善良な私人が、善良な公人であるとは、限らない。

垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっている。

野獣は、野獣を知る。同じ羽毛の鳥はおのずから一緒に集まる。

理性は、神が魂に点火した光なり。

最大の犯罪は、欲望によらず飽満によりて引き起こされる。

手は、道具の中の道具である。

欲望は満たされないことが自然であり、多くの者はそれを満たすためのみで生きる。

世間が必要としているものと、あなたの才能が交わっているところに天職がある。

あたかも金に繁殖能力あるかのごとく、金に金をうませるは最も不自然なり。

自己犠牲は、美徳の条件である。

自分が友達に望んでいる通りに、友達には振る舞わねばならぬ。

人生はチャンスと変化に富んでいる。そして最も栄えているときに、人は大きな不幸に見舞われる。

何人にも恩恵を施す者は、他人より愛されるよりも、多く己を愛す。

自己とは自分にとって最良の友人である。

法律ばかりがたくさんあるのは、悪政の兆候である。

悪は、人々を一致させる。

– END –