INPACT 羽生善治の名言

羽生善治の名言

羽生善治

1996年2月に将棋界で初の7タイトル独占を達成。2012年7月には十五世名人・大山康晴の通算タイトル獲得期数80期の記録を抜いた。全7タイトル戦のうち竜王戦を除く6つでの永世称号に加え、名誉NHK杯選手権者の称号を含め、史上初となる7つの永世称号を保持している。十六世名人の中原誠は、羽生善治を「オールラウンドプレーヤーで欠点がない。歴史上初の棋士」と評した。

Yoshiharu Habu

羽生善治

日本の将棋棋士,十九世名人(襲位は引退後)
国: 日本(埼玉県所沢市)
生: 1970年9月27日

羽生善治の名言

何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

同じ方法で悪くなる。だから捨てなきゃいけない。せっかく長年築きあげてきたものでも変えていかなくてはならない。

「自分の得意な形に逃げない」ということを心がけている。

追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。

追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。

毎回石橋を叩いていたら 勢いも流れも絶対つかめない。

勝負に一番影響するのは「怒」の感情だ。

リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている

一人で考えるか、それとも何人かの人が集まって知恵を出し合うか、どちらがより有効かは、非常に面白いテーマだ。私は、基本的には一人で考えなくてはいけないと思っている。

勝つのは一点差でいい。五点も十点も大差をつけて勝つ必要はない。常にギリギリの勝ちを目ざしているほうが、むしろ確実性が高くなる。

「いかに戦うか」は大局観にかかわるが、その具体的な戦略は事前研究が決め手になる。事前にしっかり準備して万全の態勢で、対局に臨んでくる人は強い。

ビジネスや会社経営でも同じでしょうが、一回でも実践してみると、頭の中だけで考えていたことの何倍もの「学び」がある。

終わったものはくよくよ考えても仕方ないから。

楽観はしない。ましてや悲観もしない。ひたすら平常心で。

もちろん勝負に勝つというのも大事なんですけど、そのためにいつも決まり形でやっていたら、そのことで将棋をやっている意味があるのかということに、どうしてもぶつかってしまうんです。誰もがやっている決まりきった道筋で振りきってしまうと、結局、人の来た道をただ辿ってるだけということになります。

いろいろ考えられる選択肢の中から、「この一手」を選ぶのは自分しかいないわけです。

意表を突かれることに驚いてはいけない。

何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである。

決まり切った局面で長考して時間を使って疲れるより、勝負どころの場面で、深い集中力を発揮できることが大切。

人間には二通りあると思っている。不利な状況を喜べる人間と、喜べない人間だ。

相手は敵であると同時に作品の共同制作者であり自分の個性を引き出してくれる人ともいえる。

ただ一局一局を大切に、そこにだけ集中して指してきた。

長い時間考えた手がうまくいくケースは非常に少ない。

相手のことを知るよりも、自分自身が強くなればそれで済む世界だし、それを目指した方が本筋というか、王道という気がする。

細かく考えすぎたらその場から動けないし、だいたいで動いているだけでは目的地につくことはできない。

私は才能は一瞬のひらめきだと思っていた。しかし今は、10年とか20年、30年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。

守ろう、守ろうとすると後ろ向きになる。守りたければ攻めなければいけない。

直感には邪念の入りようがない。長く考えると言うのは道に迷っている状態なんですね。「勝ちたい」とか余計な思考も入ってくる。だから、いくら考えても分からない時は、最初に戻って直感にゆだねることがよくあります。

漠然とした不安は、立ち止まらないことで払拭される。精神的プレッシャーには、開き直りで立ち向かう。

両方だめだという結論のなかで二者択一にこだわるよりも、まったく読んでない手のほうが可能性が広がるのだ。

勝ち負けには、もちろんこだわるんですが、大切なのは過程です。結果だけなら、ジャンケンでいい。

「まだその時期じゃない」「環境が整っていない」とリスクばかり強調する人がいるが環境が整っていないことは、逆説的に言えば、非常にいい環境だと言える。

イメージが浮かぶのは序盤と終盤である。浮かんでしまえば、あとは中盤でその間のつじつまを合わせればいい。

勝敗を決するのは高いテンション、自分への信頼 分が悪い時に踏みとどまる根性。

成果が出ないときこそ、不安がらずに、恐れずに、迷わずに一歩一歩進めるかどうかが、成長の分岐点であると考えています。

相手の意図を考えることから駆け引きは始まる。

ミスはミスを呼び、悪手は悪手を呼ぶ。プロがミスをしないのは、ミスしにくい局面を選択しているからなんです。本当に見たこともない新手は、ひらめきみたいものからしか生まれない。でも、それは、先入観をすべて捨てて考えないとなかなかできない。

一番いいと思えるものを簡単に、単純に考えることができれば、逆境からの突破口を見出せる。

興味が続くかぎり、集中力は続くものです。

遠回りしながらも、もがいて身につけたものの方が、簡単に得たものよりも後々まで役立ちます。

山ほどある情報から自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」の方が、重要なことだと思います。

自分自身を裏切らない努力の姿勢が 未来の結果として現れてくる。

大きく見ることと小さく突き詰めていくこと、このバランスが大切なのだと思う。

どんな場面でも、今の自分をさらけ出すことが大事なのだ。

ひらめきやセンスも大切ですが、苦しまないで努力を続けられるということが、何より大事な才能だと思います。

見た目には、かなり危険でも、読み切っていれば怖くはない。剣豪の勝負でも、お互いの斬り合いで、相手の刀の切っ先が鼻先1センチのところをかすめていても、読みきっていれば大丈夫なんです。

勝敗を決定するのは、「ただの一手」であったりする。絶妙の一手。あるいは絶妙に見えて最悪の一手。

新しい戦型は 実戦で試して一度負けないとマスターできない。

勝負の世界では、「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。常に前進を目ざさないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。

新しい試みがうまくいくことは半分もない。でもやらないと、自分の世界が固まってしまう。

誰でも最初は真似から始める。しかし、丸暗記しようとするのではなく、どうしてその人がその航路をたどったのか、どういう過程でそこにたどり着いたのか、その過程を理解することが大切だ。

何事も年齢が上がってから覚えた人は、感覚よりも知識に頼る傾向がある。

欠点を裏返すと それがその人の一番の長所であったりする。

私は対局が終わったら、その日のうちに勝因、敗因の結論を出す。

大一番の対局では、誰しも手堅く、安全、確実な道を選びたくなるものだ。自分もそうすることがよくある。しかし、確実にという気持ちに逃げると、勝負に勝ち続けるのは難しくなってしまう。

役に立たないとか意味がないと思っていることのほうが むしろ重要なんじゃないか。

理想としては、勝負を超越した心境の中で将棋を指すことなんです。

努力をしている人の側にいると、自然にいい影響が受けられるだろう。

すでに過ぎ去ったことは仕方がない。私は、意識的に先のことを考えるようにしています。反省は勝負がついた後でいい。

たとえば、最初に相手がミスをする。そして次に自分がミスをする。ミスとミスで帳消しになると思いがちだが、あとからしたミスのほうが罪が重い。

集中力がある子に育てようとするのではなく、本当に好きなこと、興味を持てること、打ち込めるものが見つけられる環境を与えてやることが大切だ。

集中力は、人に教えてもらったり、聞いて身につくものではない。勝負どころでの集中力を発揮するには、集中できる環境を自らつくり出すことこそが大切だと思っている。

勝負では、知っていることに自分の思考とか、アイデアをプラスしないと意味がないのですが、知っているというその一点だけで、有利になるということもよくあるんです。

ムダな駒は一枚もない。

必ず最後には踏み込んで勝負に出なきゃいけない時がある。

– END –