INPACT 野路國夫の名言

野路國夫の名言

野路國夫(野路国夫)

福井県出身。
1969年3月 大阪大学基礎工学部機械工学科卒業
1969年4月 小松製作所入社
1993年6月 技術本部生産管理部長
1995年2月 コマツドレッサーカンパニー(現・コマツアメリカ(株))チャタヌガ工場長
1997年3月 情報システム本部長
1997年6月 取締役
1999年6月 執行役員
2000年4月 執行役員 生産本部長(兼) e-KOMATSU推進本部副本部長
2000年6月 常務執行役員 生産本部長(兼) e-KOMATSU推進本部副本部長
2001年6月 常務取締役 生産本部長(兼) e-KOMATSU推進本部長
2003年4月 取締役 専務執行役員建機マーケティング本部長
2005年4月 取締役 専務執行役員[1] (建機事業、e-KOMATSU管掌)
2006年4月 取締役 専務執行役員 (建機事業、e-KOMATSU、コマツウェイ管掌)
2006年7月 取締役 専務執行役員 コマツウェイ推進室長[1](建機事業、e-KOMATSU管掌)
2007年1月 取締役 専務執行役員 コマツウェイ推進室長(兼)生産本部長(建機事業、e-KOMATSU管掌
2007年6月 代表取締役社長(兼)CEO
2009年度 役員報酬1億2900万円
2013年4月 代表取締役会長
2013年6月 日本電気取締役
2014年 小松製作所から1億7300万円の役員報酬を受ける。

Kunio Noji

野路國夫(野路国夫)

日本の経営者。コマツの社長

野路國夫の名言

現場を歩いて現状を把握し、データに基づいて改善していく。それができれば、企業であれ国であれ、課題を乗り越えていける。

生産現場の近くで仕事をした方が意思決定が速いし、良い仕事ができる。

トップが工場に行くべきだ。その方が現場の状況を把握できるし、アイデアも浮かぶ。僕は社長時代、4割は東京を留守にしていた。

経営は逃げずに、そして、ぶれないことが大事。

製造工程で組立作業者がミスをしたら、単に作業ミスとしては済まさずに、ミスが起こらないように図面自体を改良しています。

社長時代、本社にいる時間は全体の3割ぐらいでした。どんな立場になっても現場重視は変わりません。

コマツの収益力は協力企業とのチームワークの上に成り立っている。

会社の構造を変えるには、前後の工程のつながりを変えていかないと。そのためにはときに他の工程への「出しゃばり」も必要。

政府に要求するだけでなく、民間企業の人こそ頑張らねばならない。

作業者がやりにくそうに組み立てる作業をしているところを自分の目で見なさい。そして、作業者が言うことを全部メモして報告に来なさい。
【覚書き|製造現場に足を運ばない開発技術者に言った言葉】

コマツの仕事のやり方や価値観、いわばコマツのDNAを理解した人を育てないと、コマツの強みは失われてしまいます。単に技術やノウハウを教え込めばいいというものではありません。

開発技術者と生産技術者が一体となって開発を行い、生産性の向上や製造コストの低減を実現しています。これがコマツの強みのひとつです。

需要の変化に応じて迅速に生産を調整できるのは、生産のリードタイムを可能な限り短縮しているからです。

過剰在庫は業績の悪化に直結します。そこでコマツでは、販売代理店の在庫をゼロにする努力を行っています。需要予測に力を入れている背景には、そうした狙いもあります。

組立作業者のミスを図面の改良につなげるには、開発技術者が生産現場へ足を運ぶことが欠かせません。開発技術者が生産現場で作業員と一緒に汗を流し、組み立て作業を手掛けていくことで「確かに組み立て作業がやりにくい」と納得して図面を描き直すことができるのです。

タイ工場で生産した油圧ショベルの輸出先を米国から新興国へ素早く切り替えられたのは、国や地域ごとの建機の需要を精緻に予測しているからにほかなりません。コマツでは以前から建機の需要を科学的に予測するためにいろいろな方法に取り組んできました。

サブプライムローンショックの影響を最小限にとどめることができたのは、サブプライムローンの焦げ付きが問題になる前に米国の住宅着工件数が減少に転じたことを把握して、いち早く手を打ったからです。それまでタイの工場から米国へ輸出していた油圧ショベルを、中南米や南アフリカなどの新興国に振り向けました。

コムトラックスは坂根さん(坂根正弘会長)が経営企画室長で、私が情報システム本部長のころ、坂根さんから「若いやつのいいアイデアがある。これはITだからお前が面倒見ろ」と言われたのが始まりです。はじめはあまり上手くいかなかったのですが、坂根さんから「これは絶対ものになる。カネをかけていいから、採算を度外視してもやれ」と厳命されて、とにかく標準装備にすることを前提に開発を急ぎました。いま思うと、標準装備にすると開発の動きが早くなります。それを後押しするのはやはりトップの決断なんです。

いわゆるダントツ商品をはじめとして、かなり先行して技術開発をやれる力はついてきたなと思います。この点はもう、お客さんが評価するわけで、我々が評価するというよりも見てもらえばわかります。

僕の考える最終形は、建設機械一台あればそこにうちのお客さんの生産管理情報が全部入り込んでしまう姿にあります。それが実現すれば、これはもう完全に生産計画から、管理、実績、作業指示まで、すべてそこでオペレーションが済んでしまう時代が来るかもしれません。

当社は購買本部など東京にあった機能を石川県小松市に移転している。地方創成の観点ではなく、合理性に基づいているだけだ。銀行との交渉が多い財務など、東京にとどめるのは一部機能だけでいい。経営会議や入社式も地方でやればいいと思っている。

メーカーはわざわざ東京にいる必要はない。東京に今あるのは企業の本社機能とサービス産業、国際的なイベント開催機能だけ。メーカーに必要な他の要素は何もない。

コマツでは、何かあれば必ず先輩や上司から「実際にモノを見たのか」「現場の状況はどうなっている」と言われます。その長年の積み重ねが、ものごとを改善し続ける雰囲気を作ってきたのでしょう。だからコマツの社員は、どんな分野でも活躍できる。

石川県との連携で、コメの生産コストを4割下げることに成功しました。コマツの元生産技術部門トップの2人を現場に送り込み、苗から収穫までのすべての工程を徹底的に分析した結果です。水田の均平度を向上させ、田植えをやめて直播き栽培に切り替えるなど、生産性を高める方法を生み出しました。

入社して最初に配属されたのは、建設機械の耐久実験を担当する部門でした。屋外の現場で、ひたすら試作車を運転し続けるのが仕事です。この経験こそが私の原点です。報道や書類の内容をそのまま信じるのではなく、必ず自分の目で確かめるようになりました。

初めての海外出張で、まずアラバマ州のお客さんのところへ行きました。英語がきちんとしゃべれなくても、建機というモノがあれば何とかなりました。あそこが壊れたとか、ここがおかしいとか、技術屋同士の会話は難しくありません。

変化への対応は重要だけれども、目先の変化にいちいち反応していたら経営がおかしくなる。トータルで明確な経営戦略を打ち出して、成長戦略を着実に実行することが大切。

現場力というと工場だけのように思いますが、当社の場合は開発も生産技術も現場です。ですから、この開発や生産技術のイノベーションをやっていかないといけません。

当社はハイブリッド油圧ショベルや無人ダンプトラックのような、他社の追随を許さない高付加価値の商品をつくることで値段を上げてきました。今後も高付加価値のモノづくりを実践していきます。

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