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キング牧師の名言

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

1929年1月15日、アメリカ南部のジョージア州アトランタに生まれる。父はバプテスト派の牧師であり、1935年に父子ともマーティン・ルーサー・キングに改名した。宗教改革をはじめたドイツのマルティン・ルター(1483~1546)の名前にちなむ。

キングが6歳のとき、白人の子供の母親から「黒人とは二度と遊ばせません」といわれ、最初の人種差別を経験する。高校時代には、弁論大会で優勝した帰りのバスの中で白人から席を譲れと強制された。

1944年に大学に入学し、1947年に牧師の資格を得る。1948年に大学を卒業するとさらに神学校に入学。この時にガンジー(1869~1948)の非暴力・不服従運動の思想を知り、大きな影響を受けた。1955年にはボストン大学神学部で博士号を取得。

1863年のリンカーン大統領(1809~1865)の奴隷解放宣言により、米国の奴隷制は廃止された。しかし、それは人種差別の撤廃を意味するものではなく、南部の多くの州ではジム・クロウ法により、学校、トイレ、プール、バスなどの公共施設・交通において、白人と非白人の区別により、異なる施設が用いられることが容認されていた。

1955年、モンゴメリーで発生した白人に席を譲るのを拒んで逮捕されたローザ・パークス逮捕事件に抗議して、キング牧師はバス・ボイコット運動を指導。この運動の結果、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決を勝ち取る。

これ以降、公民権運動はアメリカ全土に広がりを見せるようになった。キング牧師は公民権運動の最も有力なリーダーの一人となり、牧師をしながら全米各地で公民権運動を指導した。

キング牧師の提唱した運動の特徴は「非暴力主義」であった。ガンジーに啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫いた。

一方、マルコムX(1925~1965)はアメリカで最も著名で攻撃的な黒人解放指導者として知られている。

1963年に行われた人種差別撤廃を求めるデモ「ワシントン大行進」は参加者が20万人を超えた。この大群衆を前にキング牧師が行った演説「I Have a Dream(私には夢がある)」は広く共感を呼び、1964年、ついに公民権法が制定された。

公民権運動に対する多大な貢献が評価され、1964年度のノーベル平和賞がキング牧師に授与された。

その後、キング牧師は「ベトナム反戦運動」への積極的な関与を始める。敵も増えていくなか、精力的に活動を続けたが、1968年にテネシー州で「I’ve Been to the Mountaintop(私は山頂に達した)」と演説後、モーテルで白人男性の凶弾にたおれた。39歳であった。

Martin Luther King, Jr.

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア


アメリカの牧師、公民権運動の指導者。非暴力抵抗運動の先頭に立って闘い、志半ばで凶弾にたおれる。
国: 米国(ジョージア州)
生: 1929年1月15日
没: 1968年4月4日(享年39)

キング牧師の名言

結局、我々は敵の言葉ではなく友人の沈黙を覚えているものなのだ。

人の真価がわかるのは喜びに包まれている瞬間ではなく、試練や論争に立ち向かうときに示す態度である。

問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。

私たちは、ヘビの強靱性とハトの柔軟性を兼ね備えなければならない。不屈の精神と優しい心を。

この世で本当の無知と良心的な愚かさほど危険なものはない。

最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。

真の平和とは、単に緊張がないだけではなく、そこに正義が存在することである。

疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべて見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです。

私たちは、限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない。

私たちには今日も明日も困難が待ち受けている。それでも私には夢がある。

ほとんどいつも、創造的でひたむきな少数派が世界をより良いものにしてきた。

人生で最も永続的でしかも緊急の問いかけは、「他人のために、いまあなたは何をしているか」である。

あなたが正しいとき、過激になりすぎてはいけない。あなたが間違っているとき、保守的になりすぎてはいけない。

人は「発言する」ことにのみならず、「発言しない」ということにも責任を持たなければならない。

愛だけが、敵を友人に変えられる唯一の力だ。

人間はだれでも、創造的な利他主義という光の道を歩むのか、それとも破壊的な利己主義という闇の道を歩むのか決断しなければならない。

どこにおける不正であっても、あらゆるところの公正への脅威となる。

嘘は、生き続けることなどできない。

人は、個人的な狭い関心事を越え、人類全体に関わる広い関心事に向かうようになって初めて本当の人生を歩み始めるのである。

人は兄弟姉妹として、共に生きていく術を学ばなければならない。それが出来なければ、私たちは愚か者として共に滅びることになる。

そのために死ねる何かを見つけていない人間は、生きるのにふさわしくない。

自由は決して圧制者の方から自発的に与えられることはない。しいたげられている者が要求しなくてはならないのだ。

真のリーダーとは、合意を探す者ではなく、合意の形成者となる者である。

「目には目を」という古い法を守っていたら、世の中の人々はみんな目が見えなくなってしまう。

すべての進歩は不安定であり、一つの問題を解決しても、我々はまた他の問題に直面することになる。

科学の力が、私たちの精神的な力をしのいでいる。私たちはミサイルを正しく撃つことはできても、人間を正しく導くことはできないのです。

人を許すことを覚え、身につけなければいけません。許す力量のない者には、愛する力もありません。最悪の人間にもどこか取り柄があるように、最高の人間にも悪い面はあります。これがわかれば、敵を憎む気持ちが薄れます。

幸せを探そうとしない人は、もっとも確実に幸せを見つけるようです。なぜなら、幸せを探す人は、幸せになるもっとも確実な方法を忘れているからです。それは、他人の幸せを探すということです。

闇は、闇で追い払うことはできない。光だけがそれを可能にする。憎しみは憎しみで追い払うことはできない。愛だけがそれを可能にする。

正しいことをするとき、頃合いを見る必要はないのです。

おそらく人生で最も罪深いことは、正しいことだと知りつつそうしないことだ。

心の中に夢をしまっておく場所をいつも空けておきなさい。

人は何のために生きているかをいつも考えておかなければいけません。この問題が解決されていれば、その人は死についてあまり考えなくなります。

誰かのためになるのに、学位は要らない。誰かのためになるのに、主語と述語を揃える必要もない。ただ、思いやりに溢れた心さえあればよい。愛によって生まれた魂さえあればよい。

地獄の一番熱い場所は、重大な倫理上の争いの中にあって中立の立場を取り続ける人間のために用意されている。

悪を仕方ないと受け入れる人は、悪の一部となる。悪に抵抗しない人は、実は悪に協力しているのだ。

黙って服従することは、しばしば安易な道ではあるが、決して道徳的な道ではないのだ。それは臆病者の道なのだ。

暴力は憎しみを増すだけである。憎しみはそのまま残る。暴力に対して暴力を持って報いれば、暴力は増加するだけである。

憎しみは人生を麻痺させる。だが愛は人生を解放する。

これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。

人は死んでも、その人の影響は死ぬことはない。

今日、私には夢がある。

– END –