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ガンジーの名言

マハトマ・ガンジー

1869年10月2日、イギリス領インド帝国(現:グジャラート州ポールバンダル)に生まれる。父はポールバンダル藩王国の宰相であった。

小学校時代は素行も悪く、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返したり、タバコ代を工面するために召し使いの金を盗んだこともあった。

インド幼児婚の慣習により、13歳の若さで結婚。18歳でロンドンに渡り、法廷弁護士となるために勉強する。

24歳でイギリス領南アフリカ連邦にて弁護士として開業。しかし、白人優位の人種差別政策下で、鉄道の一等車への乗車を拒否され放り出されるなどの人種差別を体験したことで、人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。

1914年に第一次世界大戦が起こると、イギリスは将来の自治を約束して、植民地統治下のインド人に協力を求めた。インドに帰国したガンジーはこの約束を信じ、イギリス植民地軍への志願を呼びかける運動を行なった。しかし、戦争がイギリスの勝利に終わっても、自治の拡大は期待したほど進行せず、ガンジーは「イギリスへの協力が独立へとつながらない」という信念を持った。

第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、「非暴力、不服従」運動で世界的に知られるようになる。

第二次世界大戦後、イギリスは戦勝国となったが、国力は衰退し、独立運動が根強いインドを植民地として支配することは困難であった。1947年8月15日、ジャワハルラール・ネルーがヒンドゥー教徒多数派地域の独立を宣言し、イギリス国王を元首に戴く英連邦王国であるインド連邦が成立した。 ただし、ガンジーの「ヒンドゥーとイスラムが融合したインド」との思い通りにはいかず、最終的にイスラム教国家のパキスタンとの分離独立となった。

1947年8月のインドとパキスタンの分離独立の前後、宗教暴動の嵐が全土に吹き荒れ、1948年1月30日、ガンジーはヒンドゥー原理主義集団民族義勇団によって暗殺される。 3発のピストルの弾丸を胸に撃ち込まれたとき、ガンジーは自らの額に手を当てた。これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作である。そして、ガンジーは「おお、神よ」とつぶやいてこの世を去った。78歳であった。

真実と非暴力を信奉しつづけ、インド独立運動の精神的指導者として、民衆から聖人と慕われたその偉大な生涯。
インド古来の思想を再生し、人間の品位と威厳を示した生きざまが、新たな感動をよぶ。
ガンジー自身の筆による自伝的著作には『自叙伝』と『南アフリカにおける非服従運動』の二作がある。
彼の死後、ガンジー著作編集委員会は一冊で完結した自伝の必要性を認め、二著作を再編集した新たな『自叙伝』を刊行した。


観るのは3回目だったけど、時間を空けてみることにより、その時々の時勢と照らし合わせ観ることになるわけで、観るたび異なる人物像とインドが見えてくる。また10年後に観よう。

Mahatma Gandhi

マハトマ・ガンジー


弁護士、宗教家、政治指導者。非暴力・不服従運動によって英国からの独立を果たす(インド建国の父)。ガンジーの平和主義的手法は、キング牧師など、人権運動や植民地解放運動において世界中に大きな影響を与えた。
国: インド
生: 1869年10月2日
没: 1948年1月30日(享年78)

ガンジーの名言

何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。

目的を見つけよ。手段は後からついてくる。

速度を上げるばかりが、人生ではない。

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

人間の英知を信用しすぎるのは賢明ではない。強者も弱くなるかもしれないし、賢者も間違うかもしれないと心に留めておくことは健康的である。

臆病な者は愛を表明することができない。愛を表明するとは勇敢さの現れである。

人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても、海全体が汚れることはない。

「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。

率直な意志の相違は、進歩を示す健全な兆候だ。

もし、過ちを犯す自由がないのならば、自由を持つ価値はない。

未来は、「今、我々が何を為すか」にかかっている。

人間はその人の思考の産物にすぎない。 人は思っている通りになる。

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ。

幸福とは、考えること、言うこと、することが調和している状態である。

死ぬ覚悟が出来ていれば、人は自由に生きられる。

平和への道はない。平和こそが道なのだ。

罪を憎みなさい、罪人を愛しなさい。

はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうして我々は勝つのだ。

強さとは、身体能力ではなく、不屈の精神から生まれるものだ。

良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。

私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない。

握り拳と握手はできない。

多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない。

毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる。

真実はすべて心の中にある。人はそれを探し求め、真実によって導かれなければならない。

我々をとりまく全ての物事は常に変化している。変化の源泉は生きる力にある。それは不変であり、結果を生んではまた創造する。

我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。それは我々に光明を与えるだけでなく、周囲をも照らすのだ。

非暴力は暴力よりも無限に優れているし、許すことは処罰するより遥かに男らしい。

非暴力は私の信念の第一章であり、また私の信条の最終章でもある。

人間の心の中には、闇の力と光の力の間で永遠の戦いが激しく行われています。

非暴力には敗北などというものはない。これに対して、暴力の果てはかならず敗北である。

私には見える。死の中に生が存在するのを。虚偽の中に真実が存在するのを。闇の中にこそ光が存在するのを。

重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。

物事は初めはきまって少数の人によって、ときにはただ一人で始められるものである。

喜びとは、勝利それ自体にではなく、途中の戦い、努力、苦闘の中にある。

苦闘が多ければ多いほど、勝利は輝かしい。

善良さには知識が伴っていなければならない。単なる善良さはたいして役に立たぬ。人は、精神的な勇気と人格に伴った優れた識別力を備えていなければならない。

友の幸福のためにどれだけ尽くしているか、そこに人間の偉大さを測る物差しがある。

自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したというそのことが重要なのである。

臆病者は決して道徳的にはなれない。

世界の運命を暴力によって蹂躙させない唯一の方法は、私たち一人ひとりがあらゆる暴力を肯定しないことにある。

非協力運動は、無意識のうちに悪に加担してきたことに対する抗議だ。

善に協力するのは義務である。と同時に、悪への協力を拒否するのも義務なのである。

臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、一人戦うことを誇りとする。

恐怖は、マラリアや黒熱病よりも恐ろしい病気である。マラリアや黒熱病は体を蝕む。しかし、恐怖は精神を蝕む。

あなたの夢は何か、あなたが目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう。

私は失望するといつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残忍な為政者もいた。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は亡びている。それを思う。

怠けていることは喜びかもしれないが重苦しい状態である。幸せになるためには何かをしていなくてはならない。

近隣のために尽くす人は、同時に、人類のために尽くしている。

たゆまず、休みなき努力によってこそ、「信念」は「豊かでゆるぎなき体験」に変わるのです。

私は、苦い経験を通じて、最高の教訓をひとつ学んだ。怒りをコントロールするということだ。蓄えられた熱がエネルギーに変わるように、抑制された怒りを、世界を動かす力に変えることができる。

われわれは数量的な力に頼らない。われわれは人格の力に頼るのである。

博愛を実践するには、最大の勇気が必要である。

本当の富とは、健康のことであり、金や銀のことではない。

束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。逆境があるからこそ、私は走れるのだ。涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。

最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、人類への愛のために働くことである。

善いことは、カタツムリの速度で動く。

決して焦って約束をしてはならない。

万人の福利を願うことが自らの福利につながる。自分や自分の所属する小社会のみの福利を願う人は利己的であって、そうすることは、けっしてその人のためにはならない。

世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え去るであろう。

恐怖に屈すれば、真実さえも抹殺されてしまう。自らが正しいと信ずることを恐れずに実行する。

たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かい給え!世界から血走った眼で睨まれようとも、君は真っ向から世界を見すえるのだ。恐れてはならない。君の心に響く、小さな声を信じ給え!

目標はつねに、われわれから後ずさりする。

たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。

私の生き様が、私のメッセージである。

もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう。

怒りは酸のようなもので、注ぐものにも増して、その器に大きな害を与える。

報酬を求めない奉仕は、他人を幸福にするのみならず、我々自身をも幸福にする。

私は、どこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示しうるというのではなく、究極において正義が栄えるに違いないという断固たる信念を抱いているからである。

尊厳を保つためには、金は必ずしも必要ではない。

恐怖が不信を生むのです。誰か一人でも恐れることをやめたら、我々は争うことをやめるでしょう。

偉大な人は常に一人立つ。

見るためだけの目は、世界にたいして盲目となる。

土を耕すのを忘れるということは、自分自身を忘れることだ。

暴力によって得た勝利というものは敗北に等しい。それはつかの間のものだからである。

他人に変わって欲しければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ。

私は固く信じている。すべての善の行動は、最後は必ず実を結ぶ。

満足は努力の中にあって、結果にあるものではない。

精神性の最大の要素は「恐れない心」である。

勇敢な人は、一人闘うことを誇りとする。

女性の直感は、しばしば男性の高慢な知識の自負をしのぐ。

非暴力が人間の理法であるならば、未来は女性とともにある。

行動の最中には静寂を、そして休息においては活気を学ばなくてはならない。

ゴールへ到達しようとの試みにこそ、栄光はある。

私は人格をすべて表現するために自由を望む。

– END –