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オードリー・ヘップバーンの名言

オードリー・ヘップバーン

1929年5月4日、ベルギーの首都ブリュッセルに生まれる。ヘップバーンは父の家系を通じてイギリスの市民権も持っていた。また、母の実家がオランダだったことや父親の仕事がイギリスの会社と関係が深かったこともあって、一家はこの三カ国を頻繁に行き来していた。

ヘップバーンの両親は1930年代にイギリスファシスト連合に参加。ナチズムの信奉者となっていった父は、子供の子守との浮気がばれると家庭を捨てて出て行った。

1935年、母は子供たちと故郷オランダのアーネムへと戻った。その後、1937年に母とヘップバーンはイギリスのケントへと移住。第二次世界大戦が勃発する直前の1939年、母は再度アーネムへ帰郷した。オランダは第一次世界大戦では中立国であり、再び起ころうとしていた世界大戦でも中立を保ち、ドイツからの侵略を免れることができると思われていたためである。1939年からヘップバーンはアーネム音楽院に通い、バレエも学んだ。

1940年にドイツがオランダに侵攻。1944年ごろには優れたバレリーナとなっていたヘップバーンは、オランダの反ドイツレジスタンスのために、秘密裏に公演を行って資金稼ぎに協力していた。

1945年の第二次世界大戦終結後、母とヘップバーンはアムステルダムへと移住。アムステルダムでヘップバーンは3年にわたってソニア・ガスケルにバレエを学び、オランダでも有数のバレリーナとなっていった。

1948年にヘップバーンは初めて映像作品に出演。イギリスで数本の映画に出演した後に、1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』で主役を演じ、1953年には『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得。その後も『麗しのサブリナ』(1954年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)などの人気作に多数出演している。

ヘップバーンの女優業は年齢と共に減っていき、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。ヘップバーンがユニセフへの貢献を始めたのは1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身している。

1993年、ヘップバーンはスイスの自宅で虫垂癌のために63歳で死去した。

Audrey Hepburn

オードリー・ヘップバーン


女優。アカデミー賞、トニー賞、エミー賞、グラミー賞のすべてを受賞。AFI の「最も偉大な女優50選」では第3位にランクインしている。
国: 英国(ベルギー出身)
生: 1929年5月4日
没: 1993年1月20日(享年63)

オードリー・ヘップバーンの名言

わたしにとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。

成功は誕生日みたいなもの。待ちに待った誕生日がきても、自分はなにも変わらないでしょ。

何より大事なのは、人生を楽しむこと。幸せを感じること、それだけです。

もし結婚するなら、どっぷりと結婚していたいの。

人の評価は、他の人たちの意見よりも、その人が他の人たちについてどのように言っているのかでより分かるものです。

チャンスなんて、そうたびたびめぐってくるものではないわ。だから、いざめぐってきたら、とにかく自分のものにすることよ。

人は、物以上に、回復して、新しくなり、生き返り、再生し、報われることが必要なの。決して、誰も見捨ててはいけません。

一人ぼっちになるのはいやだけど、そっとしておいて欲しいの。

過去へさかのぼりましょう。小さかったときに何に幸せを感じたのかをさがすの。私たちはみんな成長した子供。本当に…。だから人は回想し、愛したものや気付いた現実を探し求めるべきなのです。

いばる男の人って、要するにまだ一流でないってことなのよ

オランダにはこんなことわざがあります。「くよくよしてもしかたがない。どのみち予想したとおりにはならないのだから」本当にそう思うわ。

幸福のこんな定義を聞いたことがあります。「幸福とは、健康と物忘れの早さである」ですって!わたしが思いつきたかったくらいだわ。だって、それは真実だもの

バレリーナの基本ルール – 不平を漏らさない、疲れを顔に出さない、舞台の前夜は遊びに出かけない。ソ二アは、本気で努力すればかならず成功することを教えてくれたわ。それに、すべては内面から湧き出なくてはならないということもね

わたしはあまり多くを期待する人間ではないの。だからかしら、わたしはわたしが知るなかで誰よりも恨みつらみと無縁の人間よ。

一個の道具のように自分を分析しなさい。自分自身に対して100パーセント率直でなければなりません。欠点を隠そうとせずに、正面から向かい合うのです

控え目であるためには、その前になにかに立ち向かうことが必要です。

どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。考えてみれば、おそろしいことね。

戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが身につきました。また、戦争が終わって戻ってきたもののありがたみをつくづく感じました。食料、自由、健康、家庭、そして何より人の命に、深い感謝の念を抱いたのです

もちろん、わたしたちはすべてを失いました。家も、持ち物も、お金も。でも、少しも悲しくはありませんでした。家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです。

わたしを笑わせてくれる人をわたしは大事にしますわ。正直なところ、わたしは笑うことが何よりも好きなんだと思う。悩ましいことが沢山あっても笑うことで救われる。それって、人間にとって一番大事なことじゃないかしら

何としても避けたかったのは、人生を振り返ったとき、映画しかないという事態です

子どもより大切な存在なんて、あるかしら?

母から一つの人生観を与えられました。他者を優先しないのは、恥ずべきことでした。自制心を保てないのも、恥ずべきことでした。

いわゆる天賦の才に恵まれていると思ったことはないわ。仕事を心から愛して最善を尽くしただけよ。

どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと。ありのままの一日。ありのままの人々。過去は、現在に感謝すべきだということをわたしに教えてくれたような気がします。未来を心配してばかりいたら、現在を思うさま楽しむゆとりが奪われてしまうわ。

わたしの最大の願望は、いわゆるキャリアウーマンにならずにキャリアを築くことです。

愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの。言葉だけですんだことなど一度だってなかったわ。私たちには生まれたときから愛する力が備わっている。それでも筋肉と同じで、その力は鍛えなければ衰えていってしまうの…

これまでの人生で、テクニックに裏打ちされた自信を持ったことは一度もありません。でも、感性さえ磨いておけば、どんなことでもやってのけられるものです

死を前にしたとき、みじめな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、いやな出来事や逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、それはとても不幸なことだと思うの。

– END –