INPACT 小池百合子の名言

小池百合子の名言

アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身した。
テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター(初代)
参議院議員(1期)
衆議院議員(8期)
総務政務次官(細川内閣)
経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)
環境大臣(第5代・第6代・第7代)
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)
防衛大臣(第2代)
自由民主党広報本部長
自由民主党総務会長(第49代)
自由民主党国際人材議員連盟会長
都民ファーストの会代表
希望の党代表(初代)

などを歴任した。

兵庫県芦屋市生まれ。芦屋市立岩園小学校、甲南女子中学校を経て、甲南女子高等学校卒業。

在学中は、テニス部・ソフトボール部、ESSに所属。

高校在学中、神戸市で貿易商を営んでいた実父が石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、1969年12月に実施された第32回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から無所属で立候補したが落選している。

実母は赤穂(赤穂市)の塩田地主であった小川家の出身。

甲南女子高校卒業後に関西学院大学社会学部に入学するものの、父親の会社の都合で家族が東京・六本木に引っ越す。

「国際連合の公用語にアラビア語が加わる旨を伝える新聞記事をきっかけに、アラビア語通訳を目指すことにし、1971年9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。

“朝堂院大覚”こと松浦良右の資金援助で両親もカイロ市で日本食レストランを経営した。

カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を修め、カイロ大学に移って卒業した。

エジプト滞在中にカイロ近郊にあるギザの大ピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てたこともある。

なお、自身の著書においてカイロ大学を「首席で卒業」としているが、真偽は定かでない。

ジャーナリストの山田敏弘がカイロ大学のアーデル・アミン・サーレ教授に取材して在籍記録を調べたところ小池が1976年にカイロ大学文学部社会学科をグッドの成績で卒業した記録が残っており、サーレ教授は「カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。

これはすごいこと。10月に卒業したことになっているが、普通は7月卒業なので、2か月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう。

相当に大変だったのではないか」と話していたという。

「私の全てはここから始まった」 ーー。本写真集には、小池都知事の直筆サインと共に、
自らのメッセージが寄せられ、政治家・小池百合子の約25 年間に渡る"素顔"が収められている。
「日本新党」の新人時代から、東京都知事就任後までの政治家としての姿や、
「エプロン姿」「スポーツ」「カラオケ」…などプライベートの姿が、130枚掲載されている。
また「世界のTOKYO」の"歴史的写真"も収められた『永久保存版写真集』となっている。


就任から半年を過ぎても、7割を超える支持率を維持する小池百合子知事。
都庁には連日、ありとあらゆる用件で
関係者が訪ねてくるが、小池知事と話した人は、
もれなくファンになって帰るという。

「もっと知事を応援したくなった」
という仕事上の話だけでなく、
「自分もやる気が出てきた」
「自分も何かに挑戦したくなった」
「あきらめていた夢を思い出した」
と、個人としての声も聞かれるようになった。


小池知事の言葉には、相手の心を動かす力が宿っている――。
間近で知事を見つめ続ける現役特別秘書が
「言葉の力」の秘密に迫る。


理想のリーダー像に近づきたい、人間関係を変えたい、など
自ら「風」を起こし、ワクワクする明日にしたい人に贈る言葉集。


★百合子スタイルには年齢&体型カバーのお手本がいっぱい!
着やせ・着回し・くすみカバーのアイデアが満載の着こなしから、
今すぐ真似できるテクニックを豊富な写真とともに紹介します。

Yuriko Koike

小池百合子


日本の政治家。東京都知事(第20代)。

小池百合子の名言

覚悟を決めて、退路を断って、前だけを向いて突き進む。そういうのが大好きなんです。そのほうがやるべきことに集中できますよ。

挑戦しないで、そこで歩みを止めるほうが怖いですよ。いつも勝算のないまま突っ走るんですよ。性格でしょうか。

そりゃ負けたこともありますよ。ずっと勝ち続けるなんて、人間、あり得ませんから。ただ、あんまり負けだと思ってないんですね。得難い、いい経験をさせてもらえたと、ポジティブに受け止める。

※ポジティブ=肯定的、積極的、楽観的であること。物事を比較的良い方向に考えること、そのような心理状態。
※ネガティブ=否定的、消極的、悲観的であること。物事を比較的悪い方向に考えること、そのような心理状態。

人生は一回しかないんですから、「あのとき、ああすればよかった、こうすればよかった」とクヨクヨするよりは、「よし、やろう」といったん決めたら、徹底してやったほうがいいじゃないですか。

どんなに大声で号令をかけても、理念を理解して共感し、率先して動いてくれる同志がいなければ改革は進まない。

ひとつひとつは小さな改革ですが、積み重ねれば大改革につながる。

私が主唱した「クールビズ」でもそうでしたが、上から「せーの」で変わらなければ、日本の企業や組織は動かない。

なすべきことは山ほどあります。あらためて身近なところから、見つめ直す。磨き直す。「宝物」は身近にあります。

私は常に、「ブルーオーシャン」を目指してきました。もしみんなが自分と同じことをやり始めたら、私は次の場所に行くのです。

※ブルーオーシャン=「ブルーオーシャン」とは「競合性の低い(競合相手がいない、もしくは少ない)未開発の市場」を意味します。

政策は大義がなければ政策ではない。しかし、大義ばかり振りかざしていても、その大義は実行されない。

社会全体で大義を実現していくには、「面白い」「楽しい」「かっこいい」といった「共感」が必要。共感があって初めて、実行できる。

不平を言うのは結構ですが、それで何かが変わるわけではありません。だからこそ、自らがコミットすることが大切なのではないでしょうか。

計画を立てて、1つずつ実行していく。それが私の基本的な考え方、生き方。そうしたことをずっと続けてきた結果、気づいたら都知事になっていた。

「こうすればいいだろう」「こうすればもっとみんな楽になれるのに」。そんなふうに24時間、いつも何かを考えています。懸命に考え、仕事をしているのです。

人生の豊かさは「忘れ得ぬ時をいくつ持っているか」で決まる。日々の流れの中で、たくさんの「忘れ得ぬ時」を持っている人は、「忘れ得ぬ人」にもなるのではないか。

「みんながやることをやっていれば安心だ」というのは大きな間違い。皆がやることは当たり前すぎる。そこにプラスアルファで何をするのか。そうしたことが問われる。

スケジュールは、限られた時間の中で効率よく進める。その一点に尽きます。スケジュールは、「15分単位で事を進める」ようにしています。

「できない理由」ばかりにとらわれてしまえば、改革は始められない。そこで諦めるのではなく、「希望」を持って、できることからやる。そう考えて積極的に対応すれば結果は変わる。

肝心なことは、「自分がどう思うか」ではなく、「周囲がどう評価するか」。

日本の組織を変えるには、ボトムアップよりもトップダウン。トップが率先して動く必要がある。

世界をリードするためには、明確な目標と戦略を描き、それを実行する力が必要。

執行するタイミングがズレてしまっては、政策は正しくなくなる。

知事になっても24時間、何かを考えてます。次は何しようかなとか、ああしようかなとか(笑)。それが楽しいのです。

守るべきは断固として守り、変えるべきは勇気をもって変える。

役所の都合ではなく、市場の声に耳を傾け、官民の知恵を集めれば、必ず突破口は開けるはず。

唯一、東京に足りないものは「希望」。今日よりも明日のほうがいい。みんながそう信じ合えることが、何よりも大切。

やらずに後悔するよりは、まずやってみてほしい。ダメならダメで次にがんばる土台だと思えばよい。やらずして後で悔いるのはもったいない。

政治家にとって大事なことは、どんな立場になろうとも大義やミッションを忘れないこと。そこは初当選以来ずっと変わっていないつもりです。

政治家をやっていると、追い風も向かい風もある。バタッと風が止まるときもある。そのときは、崖から飛び降りてでも自分から風を起こせ!

時にはイチかバチかの決断をすることで、大きく前進できる。

人生を懸ける大一番のときがきたのに勝負に出ないというのでは、一体何のための人生でしょうか。

出る杭は打たれるもの。頭抜けてしまうと、今度は新しい世界が目の前に広がるチャンスもあります。

嫉妬への3つの対処法
1.出る杭は打たれるもの。出すぎて抜けてしまえ。
2.嫉妬する人を自分に取り込め。
3.放っておけ。

都知事選は勝機はあると信じて、ただただ進めました。このあたりはうまく説明ができませんが。神様が降りてきたとしか言いようがないので。とにかく覚悟を決めて戦いました。

一本の映画を字幕なしに何度も観ることは、英語学習のレベルをグッと高める。生きた英語を音で捉えることと、教科書や参考書を通じて英語を目から学ぶことは、全く違う。

会社人間が評価される時代はもう終わり。これからは短時間で効率よく仕事ができる男性こそが「デキる男」と評価されるべきです。雇う側も働く側も思い切った意識改革が必要ですね。

リーダーの側から常に積極的な声掛けをして、コミュニケーションをとるべき。

都知事として初めて編成した予算案を発表しました。ここで心がけたことも「メリハリ」。無駄は徹底して排除する一方、必要な施策には思い切って予算を配分しました。

「マーケティング目線」をもって、常に自分の価値を磨かなければ、市場で埋没してしまう。「私は頑張っている」ではなく、「周囲にどう評価されるか」が重要。

伝統工芸を守るためには、ビジネスとして利益の出る仕組みを整えることが大切。優れた技術を海外に発信できる人材が求められている。

都庁での「20時完全退庁」は、日本の働き方を変えるラストチャンスだという思いで指示を出した。

まずは発想を変えましょう。長く職場にいればいいんだという感覚を早く変えたい。ライフスタイルが変わることによって、仕事も効率も、そして人生も社会も変わってくる。

経済成長のエンジンとして、首都東京が担う役割はあまりに大きい。国際的な状況を踏まえ、「今回がラストチャンス」という危機感で、スピード感をもって進めていきます。

厳しい戦いであっても、理想を掲げて挑む人を、私は同志として応援していきたい。

飛び降りると自体が目的ではなく、飛び降りることによって流れをつくる。飛び降りて風を起こす。そこから変化が起きる。

必ず一歩前へ出る。崖から飛び降りたことで、私にも手痛い失敗の経験がありますが、そうした経験は現在の糧になっています。

チャンスは待っているだけでは来てくれません。自分で求めていく必要があります。それは自ら新しいステージを切り開いていくということです。

トップが率先して範を示すことは、組織を動かすための絶対条件。自ら範を示しつつ、改革を確実に前へ進める。

しっかりした改革を行うためには、外部からの目を入れ、高いレベルでの透明性と公正性を担保する必要がある。

無駄を削り、改革を進めていくためには、自らが身を切る覚悟と姿勢を示さなければならない。

複雑な事象を、一度、シンプルにとらえなおしてみることで、世の中への興味が増し、理解が深まるはず。

自分の人生の転機とも思われるイベントを乗り越えたとき、私はふと立ち止まり、これからの人生の指針について考えてきました。

男だから、女だからというのは本来全く関係ないこと。会社経営なら、バランスシートを読め、社員の士気を高め、新商品を開発し利益を上げ、納税し、社会的責任を果たす。ここに男女の違いはありません。

これからは知恵と根性比べの時代。知恵を絞って新しい世界最大の企業を目指してください。くれぐれも、自分を小さく評価してはいけません。

私は、女性であることの困難さを感じたことがないんです。むしろ男性の持っていないものを持っている強みがあると思っています。

仕事で嫉妬されることは、周囲から認められている証拠でもあります。ライバルや上司の縄張りを侵す存在として排除の対象になったわけですから、本物になれたと思っていいのです。そのうえで、嫉妬をされてももっといい仕事がしたいのか、その他大勢のままでいいのか、どっちを選ぶのかが問われているのです。

営業成績を上げる、客観的に誰もが認める成果を上げる。その実績が自分の力になってくれます。自分に力を付けたうえで、「so what(それが何?)」精神でいれば、嫉妬は乗り越えられます。

基本的に、他人は自分を助けてくれません。もちろん、助け合いの心はあります。でもいざとなったときは助けてくれないものと思って、自分の力を確立する方が重要です。

嫉妬する人は、自信がない人でもあります。そんな人のことは気にしないで自分の道を進めばいいのです。私もかつて「小泉総理に手料理を持っていってる」とか、根も葉もない噂を立てられました。あえてありそうな話に変えて情報を出すというのは陰湿なものを感じます。でもそんなものは放っておけばいいんです。

人が嫉妬する裏には、自分がないがしろにされているという思いがあります。そういう人が相手の場合は、その人を自分に取り込んで、巻き込むくらいの度量を持つということが大事でしょう。

重要なことはマーケティング。マーケティングとは顧客のニーズを探ること、つまり相手を知ること。「都民ファースト」というのも、都民のニーズを知らなければ、政策もできないし、実践もできない。魂も入らない。

戦いの上手な人は、なによりも勢いに乗ることを重視し、一人ひとりの働きに過度の期待をかけない。実は、都知事選のときも、勝算の見積もりはしつつも、最終的に計算は度外視しました。勢いで突き進んだところがあります。

いまの私の立場だと、「勝つ」というのは、単に政党間の闘争に勝つことではなく、日本や東京を良くすることです。時間はありません。少子高齢化、都市の老朽化、保育園不足。知恵を集めて、勝たなければなりません。

厳しいだけでもダメ。高圧的に接していると、偏った情報しか上がってこなくなります。現場から情報を聞き出す能力も求められますね。情報はいろいろなところから集めて、クロスチェックしていかなければいけません。

違う言語を学ぶことは、世界をみる次元を増やすことになります。日本語だけでは、日本の中の情報しか入ってきません。しかし日本の外では凄いスピードで変化が起きています。英語が苦手だと、結局、「見ざる、言わざる、聞かざる」状態になります。それは、ビジネスパーソンにとって、重大な機会損失です。

英語は世界で成功するための「パスポート」。国際会議に出席すると、英語が重要なコミュニケーションツールになっていることを実感します。公式・非公式を問わず、世界中の人々がやりとりに使うのは、やはり英語です。

特に日本は縦社会ですから、上司が号令をかけなければ部下は変わりたくても変われません。都庁でも知事である私を先頭に課長職以上全員が「イクボス宣言」をしまして、管理職が率先して早く帰るようにと私が目を光らせています。

私自身はいわば東京都の社長さん。「隗(かい)より始めよ」ということで、都庁の働き方の改革を実践しているところです。手始めに20時退庁令を実施していますが、新宿で働く約1万人の職員の9割が20時半までに退庁するようになりました。一歩前進です。

先日、どのような日本のお土産を買うのか海外の友人に尋ねたところ、「サメ皮おろし」と答えてびっくりしました。ワサビをするために欲しいと。私たちが想像しないようなものに彼らは価値を見いだしています。

私とコミュニケーションを取りたい人がアクセスしやすいよう、ドアは常にオープンにしています。最近ではパーティションで区切られた機能的なオフィスも多いようですが、コミュニケーションの観点から見ると、これはいささかマイナスではないでしょうか。話したいことがあったとき、気軽に声をかけることができないからです。

「笑わせる」「話にオチをつける」というのも、コミュニケーションを円滑に進めるための条件の一つ。一見して「とっつきにくいな」と思われるタイプの人なら、ギャップが大きいので効果も絶大です。

自分を印象づけることができたら、次は「また会いたいな」と思わせることが大切です。そう思われるのは、面白い話をしてくれる人、自分にとって有益な意見をくれる人でしょう。

新しいことをはじめるとき、重要になるのは「メリハリ」をつけること。あらゆることに妥協なく取り組むのは、気持ちはよいですが、自分も、周囲もパンクしてしまいます。新しい挑戦には全力で取り組む。一方で、これまでの定型的な仕事は見直し、効率化する方法を考える。そうすれば最大の効果を発揮できるはずです。

ペーパーレス化を進めるのは、オフィスから離れて働く「テレワーク」の土台をつくるためです。紙を前提に仕事を組み立てていると、オフィスに集まって働く必要がありますが、ペーパーレスであれば、離れた場所でのテレビ会議もスムーズになります。

行政のオープン化も加速させていきます。まずは一層の情報公開のために条例を改正します。キャッチフレーズは「のり弁から日の丸弁当へ」です。黒塗りばかりで限定的だった情報公開の方針をあらため、「個人情報」という要所以外は原則として真っ白に公開することを目指します。

ちょっと切り口を変えるだけで、スポットライトは当たる。ごく当たり前のことを推進する政策なのに、実行されていない。私はそうした政策に、少しアングルを変えてスポットライトを当てることで、息を吹き返させる。そんな作業をずっとやってきました。

私も、すべてのことを承知しているわけではありませんから、「より良い結果」が導き出せるように、その道のプロ・専門家の方々にサポートしていただいています。しかしあくまで、指示を出し、最後に責任を取るのは私です。最終的にはすべて自分で決めています。

そもそも「ハードルが高い」ことを想定しているので、そう認識した段階で既にハードルはハードルでなくなります。ハードルを認識すれば、それを乗り越えるための対処方法を探せばいいのですから。ハードルはむしろ、「やりがい」と言った方が正しいかもしれません。

評論家ばかりいても、世の中は良くならない。本当に何かを良くしていこうと思ったら、何らかの大きなムーブメントにつながるような努力をすることも必要。塹壕の中に閉じこもっていても、何も変わらない。

私は人生までマーケティングしてしまう人間です。今、「都民ファースト」と言っているのも、まさしく都民が何を考え、何を求めているのか。それを分析し、方策を考え、実行に移しているのです。

「20代、30代、40代で何をすべきか」ということを、19歳の時から考えてきました。「20代は好きなことをやる。30代からはだんだんと人生の基礎固めをしていく」というように。

政治であれ、企業であれ、どんな仕事をしていても、経営計画があり、リスクコントロールがあり、ダメージコントロールがあります。1つずつ問題を明確化して、どう対処するか考え、問題を解決していく。何をやっても、それは同じだと思います。

私は英語だけでなく、アラビア語という別の文化圏の言葉を学びましたが、世界の見方が大きく変わりました。その意味で、「英語プラスアルファ」が必要だと思います。私はアラビア語を英語で勉強しましたが、その結果、アラビア語を勉強した分、英語の語彙も増えていった。

仕事の進め方が「前例踏襲」にはなっていないでしょうか。組織のなかにいれば、仕事は上から振られるものです。だからといって、当事者意識を欠いてはいけません。「自分事」と捉え直すことができれば、大胆に発想を転換できるはずです。

今年の私の方針は「できない理由より、できる理由を探す」。問題点を見つけて、「○○だからできない」と諦めるのは簡単。しかし、それでは物事は前に進みません。解決すべき課題に対して、どうすれば「できる」のか。そのことを徹底して考え、実行していきます。

時代が変わっても、伝統工芸の価値は変わらない。伝統ある宝物を次の世代に確実に継承していくためには、「マーケティング目線」をもちながら、常に磨きをかけていく必要がある。

強力なブランドを構築するためには時間がかかる。もちろんセンスも必要。そして、新しいものをつくるよりも、歴史や伝統を再発見することが近道になる。

勤務時間が短くなれば、仕事の優先度は変わります。そのとき「ワーク」だけでなく「ライフ」を見直すことにもなるはずです。働き方改革は自分改革です。個人個人が自分の時間の使い方、つまり自分の人生の優先順位を考え直すことで、日本の社会も変わっていくのです。

都知事就任後、「都庁からライフ・ワーク・バランスを徹底していきたい」と話しました。「ワーク・ライフ・バランス」ではありません。ワーク(仕事)の前に、ライフ(生活)があるべきだと考えているからです。

意思決定の場に女性が増えるということは、明らかに政策自体に変化をもたらします。街づくりでも、これまでのいわゆるインフラ重視から、今はもうソフト重視に変わってきている。その中に女性の意思決定者が増えるということは、ソフトの街づくりで厚みのあるものになるんじゃないか。

ありとあらゆることを決めるのに、日本の行政や政治は時間がかかりすぎるケースが多い。議論を重ねるのは結構です。しかし、その間に世の中がどんどん変わっているということも考えなければいけない。

世界が変わる中で、その変化に押し流されてもダメだし、何も変わらなければ、結果として押し流される。だから、守りたい、変えたくないもののために、変え続けなくてはならないものがある。

基本的には、私はずっと保守です。保守は結局シンクロナイズドスイミングです。水面上の上半身は動いていなくとも、水の中では激しく脚を動かしているように、ひとつのところにとどまるためにはずっと変化をしていなくてはいけない、という考え方。

留学先というと欧米が多いんですが、みんなが興味を持っている地域や分野は専門家も多く競争も激しい。手薄だけれども日本にとって重要なところはどこか、ということでアラブを選びました。

密室での意思決定は、責任を曖昧にし、問題を先送りする。情報公開を進めて、官民の知恵を結集させれば、様々な課題にスピード感をもって取り組むことができる。

英語圏のスピーチではやはりジョークから入るケースも多いですね。私の場合はTPOを踏まえながら、最初に身近な話題や皆が笑えるエピソードを加えるようにしています。皆で一斉にドッと笑い、共感が生まれる。最後まで話を聞いてもらえる秘訣はこんなところにもあります。

スピーチは聞いてもらえなければ意味がありません。成否を分けるのは、「自分の話を伝えたいという意志」の有無です。意志があれば、おのずと話し方に工夫も生まれます。草稿を練るのも大切ですが、話す技術と意志を高めていきたいですね。

歴史を振り返れば、新古今和歌集には「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」という仁徳天皇の御製が収められています。国民の生活に目を向け、共感を広げられなければ、大義はやり遂げられません。

今日ではいかなるビジネスも、「顧客の満足度をいかに高めるか」が最優先の課題です。需要者である「お客様目線」で物事を考えなくてはいけない。

大組織では、往々にして身内の論理が優先され、本来の目的が見失われることがあります。しかし政治・行政は、常に有権者のために行われなければなりません。

周囲を動かし、新しいことを進めるためには、「大義」と「共感」の2つが欠かせない。「大義」を実現するために重要なのが「共感」という要素。

「ゲーム」という言葉は、日本では「不真面目」「遊び」と連想されがちですが、海外では仕事や人生、政治を「ゲーム」に例えることは少なくありません。仕事や人生をゲームとしての観点から眺めると、そこには駆け引き、戦略、挑戦、努力、協力、協調、勝負といった切り口が見えてきます。

どんなに立派な建物のなかで、物々しく議会を開いていても、肝心の議員たちのマインドが変わらなければ、東京は相変わらず変革から取り残される。いまやシンガポールや香港にアジア金融都市として後塵を拝する東京が再び世界に羽ばたくには、要となる人から代えねば始まらない。

私がキャスターを辞めて立候補した1992年は、日本の政治が現在と似たような閉塞感に覆われていました。湾岸戦争で国際社会の協力が求められる中、社会党等が国会で「牛歩戦術」を使ったり、バブルが崩壊して一般国民が生活不安に陥っているのに、旧来の自民党の権力争いが行われていたり。このままでは日本はどうなるのだろうかと不安を抱き、「私がやらねば」という気持ちで立候補したのです。当選する保証はもちろんなく、まさに「崖から飛び降りた」ような感覚でした。

政治にもビジネスのような「共感」が必要。私にとっては、お金をかけずに、「大義と共感」で日本人の持っている良さをどうやって引き出すかが大事。

父は「新しいところや高いところに突き進まなければ後退あるのみ」「皆と同じことをしていたら安心だけど、奈落に落ちるときも皆一緒。だから自分で這い上がれ」とも言いました。今の私に繋がっている、ありがたい教えです。

石油関連の仕事をしていた父は、戦後の苦しい時代を生き抜いた自立精神旺盛な人でした。私は「やれることはやりなさい」「失敗したらあなた自身のせい。責任は自分で取るものだ」と、繰り返し聞かされて育ちました。

国際社会で生き残るためには、国境を越えた発想が必要なんです。だから都議会も、これまでの延長線上で良しとせずに、グローバルな状況を踏まえながら将来を見越した判断ができる人材が必要になってくる。

振り返れば一番の財産は人ですね。キャスター時代、経営者を400人くらいインタビューしました。40年以上、アラブの人たちとつき合ってきました。その蓄積がいまの私をつくり、いかなる問題にもたじろがない土台となっています。

私は日本の首都、東京のリーダーに選ばれたわけです。その重責を果たす必要がある。高度成長時代からの名残を、その延長戦でやっていくなんていうのは所詮、無理な話です。首都東京が元気であり続けるためには、変えるところはきちんと変えなければいけない。

まずは女性だからできない理由を考えるのではなく、女性だからこそできる理由を考えていただきたい。女性だから制約があるわけではないので、できない理由にはなりませんし、女性だからといって甘えるのは最低です。

人口の半分は女性です。女性が活躍しない社会は、体の半分を使いこなせていないのと一緒です。もったいないじゃないですか。今、日本社会には行き詰まっているところがあります。だからこそ、女性の力が加わることで打開できる。私はそう確信しています。

女性によくあるのが、身近な問題を解決するために創業するというケースです。お菓子のお店を開いたり、お掃除支援などですね。これはこれでとても大切なことです。でもその一方で、「そんな無茶なことを」と人々がびっくりするようなことを考えてほしい。私はそういう人たちを応援したい。

世界は今、様々な難問を抱えています。技術革新も目覚ましく、これまでにない世が訪れようとしています。こういう混沌とした時期こそ、実はチャンスでもあると私は思っています。平時はもちろん、有事に力を発揮できる人が活躍できる時代です。

未来の東京をつくっていくわけですから、過去ばかり見て、既得権益にしがみつこうとするような人材はいりません。東京都民にとって今後必要となるものを見越し、それに必要な政策をつくる能力を持つ人。現状に文句をつけるだけではなく、より建設的な注文を出せる人を必要としています。

都政は都庁や都議会などの一部の集団の利益のためにあるわけではない。これまで都政に都民の関心はあまり向けられなかったため、結果として一部の人や組織の利権のために動いているような面があったと思います。こうした点をあらため、都民の利益を最大化したい。そのために掲げた言葉が「都民ファースト」です。これまで「都民ラスト」でしたから。

ワーク偏重の最たる例が長時間労働ですが、残業を減らして早く帰る人が増えれば「一杯飲んで帰ろうか」となりますよね。あるいは、「空いた時間で英語の勉強をしよう」とスキルアップの機会が増える人もいるでしょう。また、家族と過ごす時間が増えて、少子化対策につながるかもしれない(笑)。つまり、長時間労働の解消は消費拡大など経済政策でもあるわけですね。企業にとっても人材確保や離職防止に効果が出ます。

東京都の全事業の総点検を行いました。その結果、各事業について「期限」が定められているのは全体の約2割で、それ以外の事業には特に期限が定められていませんでした。期限がない場合、見直しのきっかけがないため、惰性で続いてしまうこともありえます。このため、すべての事業に「終期」を設定し、事業評価を行う時期を明確化しました。

知事に転身する直前まで務めていたルノーの社外取締役では多くを学びました。取締役会の机の上に紙は一枚もありませんでした。タブレットを活用することで、完全な「ペーパーレス」を実現していて、大変驚かされました。テレビ会議で世界のどこからでもBOD(取締役会)に参加します。グローバル企業なら、もはや当たり前の景色です。ちなみに、ゴーン社長のCEO室には書類棚さえありませんでした。この経験を踏まえて、都でもペーパーレス化を進めています。

田中角栄さんはかつて、5分刻みで面会をこなしたといいます。結果、外に人の行列ができて、それを見た人は「忙しいのに自分に会ってくれるんだ」と、角栄さんに感謝したそうです。それを可能にするには、「一番のポイント」から話し始めると効率がいいと聞いたことがあります。もちろん失礼のないように対応しますが、角栄さんのような時間の使い方は参考になると思います。

最初に立てた目標は「世界のすべての国を回ってみよう」というものでした。若い時は「(旅をするのに)体力がいるであろう国」へ、年を重ねてからは「旅が楽にできる豊かな国」へと。最初はアラブ諸国をすべて回ることから始めました。学割を使い、バスを乗り継いで、シリアやヨルダンを走破しました。20代からはテレビの仕事が入ってきましたが、人が取らない時期に休暇を取るようにして、1か国ずつ地図を塗り潰していくように世界を回りました。

私が「見える化」を進めるのは、自分たちの税金が何に使われているのか、一人でも多くの都民の皆様に知ってもらいたいからです。民間企業では、株主総会のインターネット中継がすでに当たり前となっています。同じように都政においても、できるかぎり公開で物事を進めたいと考えています。これらは、やろうと思えば、できることなのです。

他社や異業種の人との付き合いを増やしてみると、普段の仕事の中で当たり前だと思っていることが、別の会社や業界では面白い発見になるかもしれません。そうした気づきは、自分の可能性を再発見する機会となります。新しい環境に自分を晒すことが、自らの「きらり」を磨くことになるでしょう。

東京には魅力的な伝統工芸がたくさんあります。たとえばカットグラスの「江戸切子」。世界的に有名なチェコの「ボヘミアグラス」に匹敵する高い技術と卓越した美しさをもっています。ただ残念ながら世界的な知名度は不十分です。海外へ売り込むためには、伝統工芸を「マーケティング目線」で捉えなおす必要があるでしょう。

海外の人に「東京といえば、なにをイメージしますか」と聞くと、どう答えるでしょうか。私が海外の友人に聞いてみたところ、複数の友人が「渋谷のスクランブル交差点」を挙げました。海外からの視点では、あの交差点をみると「あ、ここは東京だ」とピンとくるのです。日本人だけで議論していても、なかなか気付かない視点です。

残業ゼロのためには、本人だけでなく、上司の意識改革も必要。「上司が居残っているから、なかなか帰れない」という人がいるのではないでしょうか。都庁では「その上司が誰なのか、そっと私に教えてください」と伝えています。「目安箱」を通じて、私に直接連絡できる仕組みがあるからです。

鳥の目で俯瞰して見ると、おかしいことっていっぱいあるわけですよ。時間がかかった分だけいろんな人たちが関与してがんじがらめになっている。私はむしろしがらみがないことから、まさに烏の目で客観的に見て、高過ぎるのではないか、安全はどうなのかと。今ひとつずつ着地点を模索しています。

カダフィ大佐は何万人の前では、陶酔させるような演説上手でした。ところがインタビューの場では落ち着かなくて、「これがあのカダフィかしら」と思わせるくらいです。その後、ジャーナリストや通訳として、様々な首脳に会いましたけれども、群衆の前に立つときはともかく、素顔はみんな人間くさいですよ。

アラブで日本は特別扱いですよ。カダフィでさえ机の上に明治天皇の写真を飾っていて、明治維新に学んで、自分はそれに倣って革命を起こしたと言います。多くのアラブの国々で全体的に言えるのは、アメリカと戦って原爆を落とされて、ゼロから立ち上がった日本は素晴らしいと。賞賛の嵐ですね。日本に対する憧れは今も消えていないですね。これは日本の財産です。

カイロ大学に留学したとき、第四次中東戦争も経験しました。学生運動は平和を訴えるのではなく「早く戦争をしろ」とけしかける。それだけでも日本から来た留学生からすれば、発想の転換を迫られました。大学の入学式の代わりに、軍事訓練から始まりましたし(笑)。日本みたいに平和な内向きの国は極めて特殊なんですよ。世界はあちこちで戦争していて、銃弾が飛び交っています。よく日本みたいな真空地帯ができたなと。ありがたいことです。

男性は真面目な組織人であればあるほど、退職後の疎外感が大きく、また退職直後に認知症にかかる人が多いと聞きます。人間の「レゾンデートル(存在理由)」を、会社から社会に移す作業が必要です。それもできるだけ早く。趣味や学びの場を持ち、仕事以外の生きがいを見つけ、好きなこと、打ち込めること、気晴らしになること、楽しめることを確保しましょう。

自分のやりたいことを実現するため、どのような手段をとるべきか。転職や起業という選択肢もあるでしょう。しかし、その前に現在の会社をどこまで活用できるのかを考えてもいいはずです。結果的には、そのほうがより早く人生の大目的に到達できるかもしれません。転職や起業は手段にすぎません。自分にとっての目的や課題は何か。それを掘り下げることが重要です。

内容はともかく、まず話し手の外見が気になるものです。髪の毛が立っている、ネクタイが曲がっている、そもそも服装の趣味が変、妙な癖があるなど、そちらにばかり意識が行ってしまうのです。スピーチをするときは、自分の想像以上に、聴衆は話の内容以外の要素に意識が引っ張られているということを理解しておくべきでしょう。服装や話し方の癖、身振りなどを研究するのもいいかもしれません。

ウケるスピーチ3原則
1.TPOに合わせる。
2.ユーモアや身近な話題でフックをつくり、共感を巻き起こす。
3.視覚情報(服装や話し方の癖、身振りなど)の重要性を意識する。

目標は高ければ高いほどいい。しかし高すぎる目標は、「どうせできない」という諦めにも通じます。そこで有効なのが、最終目標に至る道筋を小分けにし、乗り越えられる小さな目標に落とし込む方法です。その一つ一つを順にクリアしていくことで、いつの間にかピラミッドの頂上に立っている。それが私の「成功術」の秘訣です。

私はいつも「ここぞ!」という勝負のときには願掛けをします。定めた目標を達成するまで、自分を御して負荷をかけ、目標達成のエネルギーにするのです。この方法は、達成した暁に喜びを倍加させる役割も果たします。

環境大臣時代、私は「クールビズ」を提唱し、夏場の企業や官公庁において服装の軽装化を目指しました。高温多湿な日本の夏にスーツとネクタイで身を固め、反対にオフィスは冷房でキンキンに冷やす。そんなかつての状況は、地球温暖化対策に反する以上に、なにより快適ではありません。それでも社会通念上、我慢するしかないと思い込んできた人々の意識も、社会全体で取り組んだ結果、大きく変わりました。同様に、満員電車は仕方ないというコンセンサスも、工夫次第で十分に変えることができるのではないでしょうか。

日本語に守られているから、外からは入りにくく、外に出ていきにくいことが最大のネックなんです。インターネットにしても、言葉の壁は厚いですからね。日本人は本当の意味で、世界とつながっていない。自分に都合のいい偏った情報だけをネット検索して、みんなでシェアして、「世界はそうなんだ」と勝手に決めつけたりしてるでしょう。そんなことだから、世界から取り残されてしまうんですよ。

以前、環境大臣を務めたときに感じたのですが、1年目というのは様子見の時期なんです。私も周囲の様子を見るし、職員も新しいトップの様子を窺(うかが)う。それが2年目に入ると、「ああ、この人はしばらくここにいるんだな」と観念するみたいで(笑)、前向きに作業に集中してくれるようになります。3年目になるとその関係性がより深くなり、職員とも意思疎通が上手にとれるように在る。それぞれのいい部分を引き出せるようになります。

スピーチで一番大切な原則は「TPOに合わせること」です。ホテルなどでのパーティ、街頭演説、あるいは皇室の方も列席される式典など、様々なシチュエーションがありますが、「この場で自分が求められているのはどのような役割か」をまず整理しておきます。たとえば自分より目上の方が同席されている席で、砕けたギャグから入ろうとするのは顰蹙ものです。