INPACT トーマス・ジェファーソンの名言

トーマス・ジェファーソンの名言

トーマス・ジェファーソン

1743年4月13日、アメリカ東部のイギリス領バージニア植民地に10人兄弟の3番目の子として生まれる。

父は農園主と測量士をしていたウェールズ人の子孫。母は富裕なイギリス系ジェントリの孫娘であり、ジェファーソンはバージニア植民地で最も著名な人々と密接に関わりのある家庭に育った。

1752年、9歳のジェファーソンは地元の学校に入学。ラテン語、古代ギリシア語、フランス語を学び始める。

1757年、ジェファーソンが14歳の時に父が死去。ジェファーソンは約5,000エーカーの領地と数十人の奴隷を相続した。

父の死後、ジェファーソンは2年間古典教育を受け、歴史や科学を学ぶ。

1760年、17歳のジェファーソンは名門ウィリアム・アンド・メアリー大学哲学科に入学。数学、形而上学、哲学を学び、2年後に優等賞を受けて卒業。

大学卒業後は法律を学び、24歳のときにバージニア法廷弁護士になる。ジェファーソンは黒人の弁護活動にも熱心であったという。

1768年、25歳のときには新古典様式の邸宅モンティチェロの建設を始める。ふんだんにお金を使い、大きな借金をしたという。

モンティチェロはジェファーソンの奴隷プランテーションでもあり、70年間を通じて600人以上の奴隷を所有している。

ジェファーソンは法律実務を行う傍ら、1769年からバージニア植民地議会議員となる。

1774年にイギリスの議会で「耐え難き諸法」が成立した後、ジェファーソンはそれに反対し『イギリス領アメリカの権利に関する要約』を出版。彼は植民地人は自分達を治める自然の権利があるという急進的な考えを提案。

この文書はアメリカ独立の理論的枠組みを作ることに貢献し、ジェファーソンは最も思慮深い愛国的代弁者として注目された。

アメリカ独立戦争が始まった直後の1775年6月、32歳のジェファーソンは第二次大陸会議のヴァージニア代議員の一人に選出される。

1776年6月、ジェファーソンは独立宣言を準備するための5人委員会委員に指名される。ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリンを含むこの委員会は、筆が立つとの評判があったジェファーソンを独立宣言の初稿執筆者に選任する。

ジェファーソンの草稿が修正、削除された後、1776年7月4日、大陸会議にてアメリカ独立宣言が採択される。この宣言はジェファーソンの名声を高め、その雄弁な前文はその後の人権宣言の規範になった。

1776年9月、33歳のジェファーソンはバージニア邦議会議員に選出される。バージニアの法体系を更新することに取り掛かり、長子相続制廃止、信教の自由の確立、司法体系の合理化など126の法案を書いた。奴隷輸入禁止法を成立させたが、奴隷制そのものを禁止させることはできなかった。

ジェファーソンは1779年から1781年までバージニア邦知事を、1785年から1789年まで駐フランス公使を務めた。

1790年、47歳のジェファーソンは初代大統領ジョージ・ワシントン(1732~1799)のもとで3年間、初代国務長官を務める。

1791年、ジェファーソンとジェームズ・マディソン(1751~1836)は民主共和党を設立。国中の連邦党支持者と戦った。

1796年、53歳のジェファーソンは大統領選挙で民主共和党の候補者となるがジョン・アダムズ(1735~1826)に敗れる。ジェファーソンは選挙人投票で2位となって副大統領に就任。

1800年、57歳のジェファーソンは大統領選挙に出馬。選挙人選挙でジェファーソンとバーの得票数が同数で1位となり、アメリカ合衆国下院で当選者を決めることになる。1801年2月17日、下院で投票が行われてジェファーソンが第3代大統領(任期:1801年~1809年)に、バーが副大統領に選ばれる。

1809年、大統領職を辞した後、ジェファーソンは公的な事業での活動を続け、1819年にはバージニア大学を創立した。

1826年7月4日、アメリカ独立宣言の採択から50周年の記念日、トーマス・ジェファーソンはバージニア州で83年の生涯を閉じた。

Thomas Jefferson

トーマス・ジェファーソン

アメリカの政治家。第3代アメリカ合衆国大統領。アメリカ独立宣言の主要な作者。
国: 米国(バージニア州)
生: 1743年4月13日
没: 1826年7月4日(享年83)

トーマス・ジェファーソンの名言

すべての世代が新たな革命を必要としている。

勇気を持った一人の人間は、多数派である。

最もよく知っている人間は、自分がほとんど知らないことを知っている。

荒々しい自由の海には、波がつきものだ。

自分が何者であるか知りたいか?尋ねてはいけない。行動だ!行動が君を描きだし、そして明らかにする。

私はあまりに威勢のいい政府の支持者ではないことを認める。それはいつも抑圧的だからだ。

敵は通常、言いたいことを言い、信じたいことを信じるものだ。

新聞の中で最も真実を伝えているのは広告だ。

何かを行うときは、常に世界中に見られているかのように行動しなさい。

私は大いに運を信じている。そして懸命に働けば働くほど運が増すことを知っている。

時間の長さで評価されるスピーチは、時の流れとともに忘れ去られる。

本がなければ生きられない。

友情はぶどう酒である。新しいうちは口当たりが悪いが、年月を経て醸成されると、老いた者を元気づけ、若返らせる。

腹が立ったら、しゃべる前に十数えなさい。すごく腹が立ったら、百数えなさい。

心からの思いやりによって感じる幸福は、私にとってお金以上の価値がある。

快楽のエサを見つけても、その下にハリがないと確認するまでは口に入れるな。

英知に関する本の第一章は、正直さについてだ。

お金を手にする前にお金を使うな。

ついに起こらなかった害悪のために、われわれはどれほど多くの苦しみを味わされたことか!

物事は常に円滑に捉えなさい。

正しい心の姿勢を持っている人が、目標を達成するのを阻むものは何もない。間違った心の姿勢を持っている人を、助けられるものなど存在しない。

過去の歴史より、私は未来の夢のほうが好きだ。

情報は、民主主義における貨幣である。

幸せを与えてくれるのは、富でも豪華さでもなく、穏やかさと仕事である。

臆病者は、負けん気の強い者よりもケンカに巻き込まれることがずっと多い。

地球は今生きている人々のためにあり、死んだ過去の人々のためにあるのではない。

人の嗜好を法で支配することはできない。

神は私たちに生命を与え、同時に自由を与えた。

純粋な心の持ち主にとって、権力は魅惑的ではない。

新聞を読まない人のほうが、読んでいる人より正しく物事を認識できる。何も知らない人は、嘘と偽りに心を奪われている人より真実に近い。

怠け者だけにはならぬよう心に誓え。

単純な熱狂者は迫害者になり得るし、より善良な人々が、その被害者となる。

頑健な体は力強い精神をつくる。

時間を無駄にすることのない人は、決して時間が足りないという不平は言わないものである。常に行動していれば実に多くのことを達成できる。

高慢は衣食住に必要なすべてのものよりも高くつく。

すべての人に丁寧に接しなさい。だが、親密に接することはあまりしてはならない。

我が魂は神に、我が娘は祖国にゆだねる。

人民の意志が、どのような政府にとっても正当な基盤であり、人民の表現の自由を守ることが私たちの一番の目的とすべきだ。

いかなる自由人も武器の使用を妨げられることはなかろう。

信念に関しては岩の様に動ぜず、その他のことに関しては流れに任せること。

法の執行は、法を制定するよりも重要である。

私の心が知る最も幸福な瞬間は、心からの愛情を、二、三の敬愛する人物に注ぐ時である。

新聞なしの政府と政府なしの新聞、いずれかを選択しろと問われれば、私は少しも躊躇せずに後者を望むだろう。

国民による時々のちょっとした反逆は、政府の健康のためには必要な医薬品である。

喜んですることに厄介なことはない。

遅れは間違いよりましである。

最も緩やかな政府が最良である。人民が自分たちを律するからだ。

– END –