INPACT ネルソン・マンデラの名言

ネルソン・マンデラの名言

ネルソン・マンデラ

1918年7月18日、現在の東ケープ州東部に位置するトランスカイのクヌ村の首長の子として生まれる。

少年時代、父から部族社会の反英闘争の歴史や部族の首長が持つべきリーダーシップや寛容の精神を学ぶ。

マンデラはミッションスクールを卒業後、大学に入学。しかし、学生ストライキを主導して退学処分を受ける。その後、南アフリカ大学の通信課程で学び、23歳で学士号を取得。また、別の大学で法学を学んだ。

1944年、26歳でアフリカ民族会議(ANC)に入党。その青年同盟を創設して執行委員に就任。反アパルトヘイト運動に取組む。

1952年、マンデラは34歳で弁護士事務所を開業。同年12月にANC副議長に就任。1955年、ANCは他の政治団体らと全人種の参加する人民会議を開催して自由憲章を採択。自由民主主義を旗印とするようになる。

1960年にシャープビル虐殺事件が起きると、マンデラも武装闘争路線へと転換。1961年、民族の槍という軍事組織を作り司令官に就任。それらの活動により1962年に逮捕。国家反逆罪で終身刑となり、ロベン島に収監される。

マンデラは収監中にも勉学を続け、71歳で南アフリカ大学の通信制課程を修了し、法学士号を取得。また、獄中のマンデラは解放運動の象徴的な存在とみなされるようになり、マンデラの釈放が全世界から求められるようになる。

1989年、当時の大統領フレデリック・デクラークと会談。1990年、72歳でマンデラは釈放される。

1991年、マンデラはANC議長に就任。デクラークと協力して全人種代表が参加する民主南アフリカ会議や多党交渉フォーラムを開催。1994年に全人種参加の制憲議会選挙を行い、新議会にて新憲法を作成することが定められる。

1993年、マンデラはデクラークとともにノーベル平和賞を受賞。

1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙が実施され、ANCが勝利。マンデラは大統領に就任する。民族和解・協調を呼びかけ、アパルトヘイト体制下での白人・黒人との対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済不況からの回復として復興開発計画などを実施した。

1999年、80歳のときに任期満了に伴い大統領職を退任。政治の世界からも引退した。

2013年12月5日、ヨハネスバーグの自宅で95年の生涯を閉じた。

Nelson Mandela

ネルソン・マンデラ

南アフリカ共和国の政治家、弁護士。ノーベル平和賞受賞者。
国: 南アフリカ共和国
生: 1918年7月18日
没: 2013年12月5日(享年95)

ネルソン・マンデラの名言

生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。

成功するために大切なのは、どこから始めるのかではなく、どれだけ高く目標を定めるかである。

まず何よりも、自分に正直でありなさい。自分自身を変えなければ、社会に影響を与えることなど決してできません。偉大なピースメーカーはいずれも、誠実さと正直さ、そして謙遜さを兼ねた人たちです。

何事も成功するまでは不可能に思えるものである。

自由であるというのは、単に己の鎖を脱ぎ捨てるだけではなく、他人の自由を尊重し、向上させるような生き方をすることである。

こんな言葉がある。刑務所に入らずして、その国家を真に理解することはできない。国家は、どのように上流階級の市民を扱うかではなく、どのように下流階級を扱うかで判断されるべきだ。

真の和解はただ単に過去を忘れ去ることではない。

生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく。

教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である。

私は学んだ。勇気とは恐怖心の欠落ではなく、それに打ち勝つところにあるのだと。勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ。

遺恨の念は、毒を飲んでおきながら、それが敵を殺してくれると期待するようなものだ。

我々は自分に問いかける。自分ごときが賢く、優雅で美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?だが、そうあってはなぜいけない?

楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。

外見は大切。笑顔を忘れぬよう。

奴隷制やアパルトヘイトと同様に、貧困は自然のものではなく、人間から発生したものだ。よって貧困は人類の手で克服し、根絶できるのだ。

大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。

勝利をつかむその日まで、一歩ずつ、着実に進んでいきます。

指導者には、民衆を正しい方向へ導いているという自信のもとに、群れより先を行き、新たな針路を拓かなくてはならないときがある。

人格は厳しい状況のもとでこそ計られる。

裁判とは、心の強さが試される闘いであり、道義を守る力と道義にそむく力とのぶつかり合いなのだ。

私は民主的で自由な社会の実現のために生きている。しかし、もし必要あらば、その理想のために私は死ぬことを覚悟している。

人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとってのよい社会、よい生活を追い求めずにいることは、不可能なのです。

人種差別は魂の病だ。どんな伝染病よりも多くの人を殺す。悲劇はその治療法が手の届くところにあるのに、まだつかみとれないことだ。

我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、我々の存在は、同時に他の人々をも解放することができるのである。

私の長い道のりは、まだ終わっていない。

– END –