INPACT マーガレット・サッチャーの名言

マーガレット・サッチャーの名言

マーガレット・サッチャー

イギリス初の女性首相。保守的かつ強硬なその政治姿勢から「鉄の女」と呼ばれた。


1959年、33歳で下院議員に初当選。
1979年、女性として初めてイギリスの首相に就任した(53歳)。
1990年、首相、保守党党首を辞任した(65歳)。
2013年、脳卒中により生涯を閉じる(4月8日 享年87)。

1925年10月13日、イングランド東部のリンカンシャー州グランサムに生まれる。

父は食糧雑貨商を営んでいたが、市長経験もある地元の名士であった。一家は代々メソジストの敬虔な信徒であり、家訓であった質素倹約、自己責任、自助努力の精神はサッチャーにも色濃く受け継がれた。

父を尊敬していたサッチャーは「人間として必要なことはすべて父から学んだ」とよく口にしていた。

オックスフォード大学では化学を学んだが、フリードリヒ・ハイエクの経済学にも傾倒。この頃に培われた経済学の思想が、後の新自由主義的な経済改革(サッチャリズム)の源流となった。

21歳で大学を卒業後、コロイド化学を専門とする研究者の道に進む。1950年、24歳で保守党から下院議会議員選挙に立候補するも落選。翌年にはデニス・サッチャーと結婚し、法律の勉強も始める。

1953年、27歳で弁護士資格を取得。この時期には女権拡張について強く訴えていた。

1959年、33歳で下院議員に初当選。1970年、44歳のときにヒース内閣で教育科学相を務める。この時、予算削減のため、学校における牛乳の無償配給を廃止。サッチャーは「ミルク泥棒」とそしられ、猛烈な抗議の嵐を巻き起こした。

1974年の選挙で保守党は敗北、翌年、49歳のサッチャーは保守党党首選挙に出馬して当選。同じ年に採択されたヘルシンキ宣言を痛烈に批判したことでソ連の機関紙がサッチャーを「鉄の女」と呼び非難した。本人もこの呼び名を気に入り、サッチャーの代名詞として定着。

1979年の選挙ではイギリス経済の競争力強化を公約に掲げ、保守党が大勝。53歳のサッチャーは、女性として初めてイギリスの首相に就任した。

サッチャーはイギリス経済の建て直しのため、政府の市場への介入を抑制する政策を実施。これらの経済思想は、新自由主義や新保守主義と呼ばれた。

1982年にフォークランド紛争が勃発。アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵略に対し、サッチャーは間髪入れず艦隊、爆撃機をフォークランドへ派遣。多数の艦艇を失ったがアルゼンチン軍を放逐した。

フォークランド紛争をきっかけに保守党は二度目の総選挙で勝利。サッチャーはより保守的かつ急進的な経済改革の断行に向かう。

サッチャーは3度の総選挙を乗り切ったが、任期の終盤には人頭税の導入を提唱して国民の強い反発を受けるなど、党内の求心力も低下。1990年、65歳のときに首相、保守党党首を辞任した。

1992年からは貴族院議員を務め、政治の表舞台から退いた。

2013年4月8日、脳卒中のため87年の生涯を閉じる。

英国初の女性首相サッチャーの功績は、経済再生と冷戦勝利だけではない。その真価は、ケインズ主義的な戦後コンセンサスを破壊し、国家と個人の関係を組み替えたことにある。なぜ彼女は閉塞感に包まれていた社会の変革に成功したのか。対メディア戦略・大統領型政治・選挙戦術……良くも悪くも21世紀の政治指導者の「原型」を創り出したリーダーシップに迫る。

【VIDEO】
沈みゆく英国を建てなおした<鉄の女>マーガレット・サッチャー。その鉄の意志の向こうに、彼女はどんな涙を隠していたのか。そして、それを支え続けた夫の存在とは―。これは偉人伝ではない。信じるもののために力の限り戦い、傷つき、老いて戦場を去ろうとしているひとりの女性を描く感動の物語。戦わない日など一度もなかった。[予告編が見れる]

Margaret Thatcher

マーガレット・サッチャー

国: 英国(リンカンシャー州)
生: 1925年10月13日
没: 2013年4月8日(享年87)

マーガレット・サッチャーの名言

懸命に働かずしてトップに立った人など、私は一人も知りません。それがトップに立つための秘訣です。必ずしもそれでトップになれるとは限りませんが、かなり近いところまでは行けるはずです。

最終的に自分の思い通りになるなら、私はいくらでも忍耐強くなれる。

好かれようとしているだけなら、いつでも何でも妥協する用意があり、何も達成しないだろう。

考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。

影響力があるかないかは、レディーの資格があるかないかに似ている。自分で自分はレディーよと言わなければ分かってもらえないようでは、レディーの資格はない。

政治において、言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい。

家庭の問題を理解できる女性ならば、国家を運営する問題をより理解できる。

頂上にはあまり場所はないと人は考えます。頂上はエベレストのようであると考える傾向があります。私が言いたいのは頂上はとても広いということです。

成功には素質も必要でしょう。しかし、それだけでは十分でないことを自覚し、目的を持って努力しなければ、成功は得られません。

勝つためには、一度ならず戦わなければならないこともある。

敗北?私はその言葉の意味を存じ上げません。

私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ。

豊かな人を貧しくしたからといって、貧しい人が豊かになるわけではない。それでも豊かな人を貧しくしたがるのは嫉妬です。嫉妬は人類最大の劣情。劣情に駆られた政治は決して良くない。

政治家たるもの、哲学がなくてはいけない。

成功とは何か。それは、自分がやっていることに才能があること。そしてまだ十分でないということをわかっていること。一生懸命に働き、確かな目的意識を持っていなくてはならないということを知っていること。これらをすべて併せたものだと思います。

懸命に働かずしてトップに立った人など、私は一人も知りません。それがトップに立つための秘訣です。必ずしもそれでトップになれるとは限りませんが、かなり近いところまでは行けるはずです。

我々は、決して、後戻りはしないのです!
【覚書き|フォークランド紛争終結後の発言】

パワフルであるということは女性であるということと同じようなものです。もし、自分で自分がそうだって言わなくてはならないようなら、そうではないということです。

人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜなら、国際法が力の行使に打ち勝たなければならないからだ。

言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい。
【覚書き|男性には強力な発言権があるが、女性には高い実務能力あるという意味合いの言葉】

我々は核兵器のない世界ではなく、戦争のない世界を目指すべきです。

私はコンセンサス(関係者の意見の一致をはかること)というものは、さほど重要なものであるとは思いません。あれは時間の浪費の原因のようなものですから。

家庭の問題を理解できる女性なら誰でも、国の問題も理解できるところの近くにいます。

心がやさしいだけだったら、誰一人として善きサマリア人のことなど覚えていなかったでしょう。彼にはお金もあったのです。

英国政府はもはや、みなさんの面倒を見ることができません。どうか自分の足で立ってください。

私が生きている間に女性の首相が誕生するとは思えません。

お金は天から降ってこない。地上で稼ぎ出さねばならない。

社会なんてものはない。個人としての男がいて、個人としての女がいて、家族がある。ただそれだけだ。

彼自身のためにエベレストを登る男でも、山頂には祖国の国旗を立てるものだ。

私の仕事は英国が共産主義に向かうのを防ぐことです。

核兵器をもたない世界なんて、全人類にとってより安定を欠いた、より危険な世界となるだろう。

私が戦わなかった日など一日たりともありません。

不一致があれば、私たちは調和をもたらしたい。誤りがあれば、私たちは真実をもたらしたい。疑問があれば、私たちは信頼をもたらしたい。絶望があれば、私たちは希望をもたらしたい。

心がやさしいだけだったら、誰一人として「善きサマリア人」のことなど覚えていなかったでしょう。彼にはお金もあったのだ。

ヨーロッパは歴史によってつくられ、アメリカは哲学によってつくられた。

高々と鳴くのは雄鶏かもしれません。しかし、卵を産むのは雌鶏です。

リーダーは好かれなくてもよい。しかし、尊敬されなくてはならない。

意見の一致には危険が潜む。何についても特定の意見を持たない人々を満足させようと試みることになりかねない。

強者を弱くすることによって、弱者を強くすることはできない。

私はコンセンサスというものは、さほど重要なものであるとは思いません。あれは時間の浪費の原因のようなものですから。

大英帝国の旗の下、祖国に救援を求める国民が一人でもいる限り、我が国政府が見捨てることは絶対にない。

女性運動を声高にやる人は嫌いです。男女の別に関係なく、人間は能力で決まる。

幸運だったわけではありません。私はそれだけの努力をしてきました。

物事に反対するだけでは勝てない。物事に賛成し、自分のメッセージを完全に明確にすることによってのみ勝利できる。

お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません。

労働組合が若者から仕事を奪っている。

家計のバランスは自然にとれるものではありません。毎年努力してバランスをとるものです。

人の一生は、最終的にその人の品格に左右され、品格は自分をどう形成するかにかかっている。

多数に追随するな。自分自身で決断せよ。そして人々をも納得させ、リードしていけ。

もちろん、みんな私にほくそえむべきではないと言いますわ。私はそうねとほほえむのです。

人間として必要なことは全て父から学んだ。

民主主義の眼目は、率直で力を込めた討論である。

料理や育児や掃除だけじゃなく、人生にはもっと大切なことがある。私は食器を洗って一生を送りたくない。

男から女への最高の誉め言葉は、「あなたは考え方が女らしい」と言うこと。

– END –