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ジョン・F・ケネディの名言

ジョン・F・ケネディ

1917年5月29日、アメリカ北東部のマサチューセッツ州ブルックラインに次男として生まれる。父はアイルランド系移民の実業家、母方の祖父もアイルランド系の有力者として下院議員、ボストン市長を務めている。

ジョンは幼少期からいくつもの原因不明の病気にかかり、病弱な子供だった。生まれつき背骨に障害もあり、生涯、背骨の痛みに悩まされたという。

ジョンの兄は学校のスポーツ選手として活躍したが、兄に激しいコンプレックスを持っていたジョンは反抗的な生徒として有名になり、放校処分になりかけたこともあった。

1940年、23歳でハーバード大学を卒業。第二次世界大戦では大日本帝国海軍と対峙していたソロモン諸島のツラギ島に配属。パトロール魚雷艇の艦長となり、困難な状況下から部下と生還したことで英雄となる。

戦後、ジョン・F・ケネディは政界入りし、1947年~1953年に下院議員、1953年~1960年に上院議員を務める。

1953年、36歳でフランス系アメリカ人の名門の娘であるジャクリーン・リー・ブーヴィエと結婚。

1960年、43歳で大統領選挙に民主党から出馬し、共和党のリチャード・ニクソンを僅差で破り当選。選挙で選ばれた最も若い大統領となる。カトリック教徒、アイルランド系としても初の大統領であった。

大統領在任中には、ピッグス湾事件、キューバ危機、ベルリンの壁の建設、米ソの宇宙開発競争、公民権運動の高まり、ベトナム情勢の悪化など、多くの歴史的事件に取り組む。キューバ危機の対応では米ソ全面核戦争の危機を回避したと評価される。

1963年11月22日、遊説先のテキサス州ダラスにてオープンカーでパレード中に狙撃され、暗殺される。享年46歳。

ケネディ暗殺事件は、その衝撃と陰謀説など数々の謎に包まれて、歴史に残る事件となった。

本書は、ジョン・F・ケネディ大統領就任から50年を記念し、JFKライブラリーと歴史学者 テッド・ウィドマーが手を組み、残されたテープのうち最も重要な部分を選び抜いて公開 したのが本書である。

アメリカのその後に大きな影響を与える問題に結論を下すまでの 激しく悩ましい議論の「肉声」がケネディ・テープにはあますところなく刻まれている。

キューバ危機をテーマにした映画『13デイズ』もケネディ・テープが基になっているという。

ケネディの肉声CDも見逃せない貴重なもの。序文はJFKの長女で駐日大使として予定 されている「ケネディ王朝最後の切り札」キャロライン・ケネディ。


だれの人生にも、自分自身の“勇気”を問われる瞬間がある。
――ジョン・F・ケネディの伝説的名著、待望の復刊!

「国が自分のために何をしてくれるのかではなく、自分は国のために何ができるのかを問いかけていただきたい」――その優れたリーダーシップ、信念と良心、そして勇気にあふれる行動と発言によって全国民の心をとらえ、今なお世界中のの人々を魅了する偉大な政治家、ジョン・F・ケネディ、アメリカ合衆国第35代大統領。

John F. Kennedy

ジョン・F・ケネディ

アメリカの第35代大統領。遊説先のテキサス州ダラスにて暗殺される。
国: 米国(マサチューセッツ州)
1917年5月29日 ~ 1963年11月22日(享年46)

ジョン・F・ケネディの名言

楽な人生を願い求めるな。より強い人間になれるように願いなさい。

行動にはつねに危険や代償が伴う。しかしそれは、行動せずに楽を決めこんだ時の長期的な危険やコストと較べれば、取るに足らない。

やらねばならないことをやる。個人的な不利益があろうとも、障害や危険や圧力があろうとも。そしてそれが人間倫理の基礎なのだ。

中間管理職と真のリーダーシップとの微妙な半歩の違いは、プレッシャーの下で優雅さを保てるかどうかだろう。

知識が増すほど、われわれの無知が明らかになる。

学問を伴わぬ自由は危険であり、自由を伴わぬ学問は空虚である。

一人の有権者が民主主義に対して無知であることは、あらゆる安全を低下させる。

目的と方針がなければ、努力と勇気は十分ではない。

私たちは、今までになかったものを夢見ることができる人々を必要としている。

もし自由社会が、貧しい多数の人々を助けることができなければ、富める少数の人々も守ることができないだろう。

恐怖から交渉をしてはいけない。しかしまた、交渉するのを恐れてもいけない。

大きな失敗を恐れない者だけが、偉大なことを成し遂げる。

勝利には千人の父親がいる。だが、敗北は孤児である。

平和的革命を失敗させる人物は、暴力的革命を不可避のものにする。

中国語で書くと、危機という言葉は二つの漢字でできている。ひとつは危険、もうひとつは好機である。

私たちが抱える問題は、人間が作り出したものだ。したがって、人間が解決できる。人間の理知と精神は、解決不可能と思われることもしばしば解決してきた。これからもまたそうできると私は信じている。

自信を持って恐れることなく、私たちは努力を続けなければならない。人類絶滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって。

国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。

あなたの敵を許しなさい。だが、その名前は決して忘れるな。

屋根を修理するなら、日が照っているうちに限る。

我々すべてが等しい才能を持っているわけではない。しかし、我々すべては才能を伸ばす等しい機会を持つべきだ。

変化とは人生の法則である。過去と現在しか見ない人は、確実に未来を見失う。

人類は戦争に終止符を打たなければならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう。

何といっても、我々の最も基本的なつながりは、誰もがこの小さな惑星に住んでいるということにあるのです。誰もが同じ空気を吸っているのです。誰もが子供たちの未来を慈しんでいるのです。

われわれは時間を道具のように使わねばいけない。すがりつく松葉杖としてではなく。

人は死に、国は興亡するかもしれない。しかし思想は生き続ける。

清らかな良心のみを我々の確かな褒賞とし、歴史に我々の行動の最終的な審判をゆだね、我々の愛する国土を導くべく前進しようではないか。

我々が未来に信頼を持つには、まず我々自身を信頼することである。

我々は真に勇気ある人間であったか?すなわち「敵に対抗する」勇気のほかに、必要な場合には「自己の仲間に対しても抵抗する」だけの勇気を持っていたか。「私利私欲に抵抗する」勇気だけでなく、「多数の圧迫に抵抗する」勇気を持っていたか!

我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない。

勝ち戦には100人もの将軍が名乗り出るが、負け戦は一人で責任を負うのみだ。

平和は憲章や盟約だけに根ざすものではない。それは人々の心情の中に根ざすものである。

互いに相違点があることは認めよう。たとえ今すぐ相違点を克服できないにしても、少なくとも多様性を認められるような世界を作る努力はできるはずだ。

我々は、望みに向かって進む時、恐れに行く手をふさがせてはならない。

今、我々に必要なのは何か。それは満足感ではない。勇気だ!

事実をありのまま率直に語ることは、未来に絶望することでも過去を告発することでもない。

良い成果を上げる政府の基礎となるのは、国民の信頼である。

富は手段であり、その目的は人間である。物質的な富は人間の向上のために用いられなければ意味がないと言ってよい。

誰かが僕を撃つつもりなら、今日やるべきだ。

その道が千里またはそれ以上であったとしても、この国土の、この時代の我々が、その第一歩を踏み出したことを歴史に記録させようではないか。

どのような平和を私は言っているのか?どのような平和を我々は探求しているのか?私が言っているのは本物の平和である。それは人生が生きるに値すると思わせる平和であり、すべての人々や国々を発展させ、夢を抱かせ、子供たちのためにより良き生活を打ち立て得る平和である。それはアメリカ人だけのための平和ではなく全人類のための平和であり、我々の時代だけの平和ではなく全ての時代の平和である。

人は他人とは違う何事かをなすことができる。だったら誰もがそうすべきである。

私は大統領になる時に若すぎると言われた。君は野球をするには年を取りすぎだと言われた。しかし今、どちらも全く的外れであることがわかった。

– END –