INPACT ヘレン・ケラーの名言

ヘレン・ケラーの名言

ヘレン・ケラー

1880年6月27日、アメリカ南部のアラバマ州タスカンビアに生まれる。

父はドイツ系アメリカ人、母はイングランド系アメリカ人で両親ともに南部の名家の出身であった。ヘレンには異母兄が二人、妹が一人いた。

1882年、ヘレンが2歳(生後19か月)のときに高熱に伴う髄膜炎に罹患する。かろうじて一命は取り留めたものの、聴力、視力、言葉を失った。ヘレンはしつけを受けることの出来ない状態となり、わがままに育ってしまう。

1887年、ヘレンが6歳のときに家庭教師として当時20歳のアン・サリヴァンが派遣される。

アン・サリヴァンは幼少のころに弱視であった自分の経験を生かしてヘレンにしつけ、指文字、言葉を教え、ヘレン・ケラーは話せるようになる。

ヘレンは7歳でボストンの盲学校に入学。14歳でニューヨークのろう学校に入学し、発声の勉強にはげむ。

16歳のときにケンブリッジ女学院に入学。しかし、翌年サリヴァンが校長と教育方針をめぐって衝突し、ヘレンは退学。ヘレンはもう一人の家庭教師キースの手を借りて勉強を続ける。この時期に父が亡くなっている。

1900年、ヘレン20歳のときにラドクリフ・カレッジ(現:ハーバード大学)に入学。1902年に『わたしの生涯』を出版。1904年に卒業し、文学士の称号を得る。

1909年、29歳のヘレンはアメリカ社会党に入党。婦人参政権運動、産児制限運動、公民権運動など多くの政治的・人道的な運動に参加。著作家としても活動を続ける。

1936年にサリヴァンが死去。サリヴァンが病床にあるという理由で来日要請をためらっていたヘレンにサリヴァンは「日本に行っておあげなさい」と遺言したという。

1937年、56歳のヘレンは浅間丸に乗り横浜港に到着。日本各地を訪問した。

1964年、84歳のヘレンにアメリカ政府から文民最高位の勲章である大統領自由勲章が贈られる。

1968年6月1日、ヘレン・ケラーは87年の生涯を閉じた。

Helen Keller

ヘレン・ケラー

アメリカの教育家、社会福祉活動家、著作家。視覚と聴覚の重複障害者でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くす。
国: 米国
生: 1880年6月27日
没: 1968年6月1日(享年87)

ヘレン・ケラーの名言

世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは、心で感じなければならないのです。

世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ち溢れています。

あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。

うつむいてはいけない。いつも頭を高くあげていなさい。世の中を真っ正面から見つめなさい。

もしも、この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。

自分の欠点を直視し認めることです。ただし欠点に振り回されてはいけません。忍耐力、優しさ、人を見抜く目を欠点から学びましょう。

あなたは困難な仕事を自分に課しましたが、あきらめずにがんばれば、うまく行くのです。そして、成功への障害を克服することが喜びとなるでしょう。

何か素晴らしいことを達成するための努力というものは、決して無駄にならないことを覚えていなさい。

私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。

人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。

顔をいつも太陽のほうにむけていて。影なんて見ていることはないわ。

ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。

ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない。

元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えるのです

安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。

光の中を一人で歩むよりも、闇の中を友人と共に歩むほうが良い。

私は正義のために戦っている人すべてに共感を覚える。

世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人だ。

喜びとは、目的をあたため続け、知性を輝かせ続ける神聖な炎である。

個性は安らぎや静けさの中で生まれるものではありません。試練や苦しみを経験することでのみ、魂が鍛えられ、洞察力が研ぎ澄まされ、野心が鼓舞され、成功が手に入るのです。

私は素晴らしく尊い仕事をしたいと心から思っている。でも私がやらなければならないのは、ちっぽけな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのだ。

悲観論者が、星についての新発見をしたり、海図にない陸地を目指して航海したり、精神世界に新しい扉を開いたことは、いまだかつてない。

科学は、たいていの害悪に対する解決策を見出したかもしれないが、その何にもまして最悪のものに対する救済策を見出してはいない。すなわち人間の無関心さに対する策を。

人の苦しみをやわらげてあげられる限り、生きている意味はある。

結局、真の知識を得ようと望むものは、誰でも艱難の山を一人で登らなければならず、頂上への王道がない以上、私は曲がりくねりながら登らねばならぬことに気付いたのです。

孤独な魂に出会うと、自由と知性のあふれる世界にかならず導いてあげる、それが愛。

闇と沈黙の中でさえ、すべてのものは、驚嘆すべきものを持っています。私はどんな状況にあっても、その中に充足があることを学んでいます。

物事を成し遂げさせるのは希望と自信です。

はじめはとても難しいことも、続けていけば簡単になります。

自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。

人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。

幸せとは、視野の広い深遠な知識をもつことです。その知識とは、嘘と真実、低俗なものと高尚なものを見分ける力です。

第六感は誰にもあります。それは心の感覚で、見る、聴く、感じることがいっぺんにできるのです。

本当の教育は知性と美しさと善良さを組み合わせたものです。そしてこのうち一番大切なものは善良さです。

いく先々で出会うみなさんの思いやりのおかげで、ものごとがいつもうまく進んでいきます。

心ある人々が悪魔との戦いに長い時間を費やしています。これは素晴らしいことですが、その人たちが同じエネルギーを人々のために使えば、悪魔は退屈してすぐに退散してしまう。

人々の思いやりがあれば、小さな善意を大きな貢献にかえることができます。

盲目であることは、悲しいことです。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。

目に見えるものは移ろいやすいけれど、目に見えないものは永遠に変わりません。

目に見えるものは移ろいやすいけれど、目に見えないものは永遠に変わりません。

もし幸福な生活を送りたいと思う人々がほんの一瞬でも胸に手を当てて考えれば、心の底からしみじみと感じられる喜びは、足下に生える雑草や朝日にきらめく花の露と同様、無数にあることがわかるでしょう。

私たちにとって敵とは、「ためらい」です。自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。

大きな目標があるのに、小さなことにこだわるのは愚かです。

みんながみんなのために働く、それがほんとうの愛国心。

幸福は自己満足によってではなく、価値ある目標に忠実であることによって得られる。

– END –