INPACT ロダンの名言

ロダンの名言

オーギュスト・ロダン

1840年11月12日、フランスのパリに生まれる。父は警察に雇われる事務員で、ロダンは二人目の子供であった。

ロダンは10歳のときに初めて絵を描いたことで美術に興味を持ち、14歳で地元の工芸学校に入学。絵画やデッサンを学ぶ。

17歳でロダンは工芸学校を退学。学業継続を望んで国立高等美術学校エコール・デ・ボザールに入学を志願したが不合格。翌年と翌々年も入学を拒否される。入学を諦めたロダンは室内装飾の職人として働きながら、次の道を模索する。

ロダンは23歳のころ、動物彫刻の大家であったアントワーヌ=ルイ・バリーに弟子入り。24歳で裁縫職人のローズと出会い、長男をもうける。装飾職人としての労働も再開。

1870年、ロダンが29歳のときに普仏戦争が勃発。ロダンは近視であったことから兵役を免れたが、戦争の影響で生活が苦しくなり、職を求めて家族とベルギーへ移住。ブリュッセル証券取引所の建設作業に参加した。

1875年、34歳のロダンは念願のイタリア旅行へ出かける。そこで目の当たりにしたドナテッロ(1386~1466)とミケランジェロ(1475~1564)の彫刻に衝撃を受け、ロダンは多大な影響を両者から受けることになった。

ベルギーに戻ったロダンは『青銅時代』を制作、十数年ぶりに彫刻家として活動を開始した。

しかし、『青銅時代』は等身大の男性像で、そのあまりのリアルさのために「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられる。

憤慨したロダンは新たに人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を作り、疑いを晴らす。審査員たちはロダンの彫刻を称賛し、ロダンの名は一気にフランス中に広まった。

1880年、建設を予定していた国立美術館のモニュメント制作の依頼を受ける。ロダンはダンテの『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』をそのテーマとして選ぶ。

ロダンが42歳のとき、美貌を持った19歳のカミーユ・クローデルがロダンの弟子となる。ロダンはこの若き才能と魅力に夢中になる。

ロダンには内妻ローズがいたため三角関係となり、その関係は15年にわたって続いた。やがてカミーユとの関係は破綻を迎え、ロダンは妻ローズのもとへ帰る。ショックを受けたカミーユは徐々に精神のバランスを欠き、精神病院に入院、死ぬまでそこで過ごした。

1888年、ロダンが47歳のときに美術館の建設計画は白紙に戻り、ロダンに『地獄の門』の制作中止命令が届く。ロダンはこれを断り、金を払って『地獄の門』を自らの物とし、制作を続けた。

1917年、ロダンは死期の迫ったローズと遂に結婚の手続きをする。その16日後にローズは死去。更に9ヵ月後の1917年11月17日、ロダンは77年の生涯を閉じた。『地獄の門』は未完に終わった。

ロダンの作品群は世界的に人気があり、特に『地獄の門』の一部分を抜き出した『考える人』は数多く鋳造されている。

Auguste Rodin

オーギュスト・ロダン

フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家であり『近代彫刻の父』とも称される。
国: フランス(パリ)
生: 1840年11月12日
没: 1917年11月17日(享年77)

ロダンの名言

経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない。

私は何も発明しない。再発見するだけだ。

彫刻は、凹凸の術である。

忍耐もまた行動の一つの形態だ。

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。そして、芸術家である以前に、人間であることだ。

芸術家にとって、自然の中で醜いものは何もない。

かぶりついて仕事せよ。

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ。

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である。

人に善をなせば、とがめられるものだ。

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ。

わたしは大理石の塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす。

自分が何かをやることさえ確かだったら、少しぐらい待っても何でもない。

情熱をもってあなたの使命を愛せよ。それが人生の意味である。

芸術とは自然が人間に映ったものです。大事なことは鏡をみがくことです。

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいはわれわれの立脚点、視点の方にある。

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です。

深く、恐ろしく真実を語る者であれ。自分の感ずるところを表現するに決してためらうな。

美はあらゆる所にある、われわれの眼がそれを認め得ないだけだ。

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことです。

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである。

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける。

真理に年齢はない。

芸術は感情に外ならない。しかし量と比例と色彩の知識なく、手の巧みなしには、きわめて鋭い感情も麻痺される。

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だからすべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ。

自然は至上の建築家である。自然の一切は最も美しい釣り合いを持って建てられている。

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように。

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する。

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう。

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです。

天才?そんなものは決してない。ただ勉強です。方法です。不断に計画しているということです。

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ。

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます。

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります。

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう。

われわれは自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する。

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです。

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりです。

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える。

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです。

芸術の唯一の原則は、見たものをコピーすることだ。

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会… 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである。

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ。

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ。

家事をしている女、それは世の中で最も美しいものの一つである。

現代人の欠点は、自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪、のろうべき苦役と考えている。

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です。

芸術に独創はいらない。生命が要る。

– END –