INPACT ジャン・コクトー の名言

ジャン・コクトー の名言

ジャン・コクトー

1889年7月5日、フランスのパリ近郊のメゾン=ラフィットで三人兄弟の末っ子として生まれる。

1898年、ジャン・コクトーが9歳のときに父がピストル自殺。

中学生時代のジャン・コクトーは図工が得意であったという。高校生時代には、作家のマルセル・プルースト(1871~1922)らと出会うなど文学に没頭。しかし、大学受験に失敗し、進学を断念する。

1909年、20歳のコクトーは自費で最初の詩集を発表。この頃にロシアのバレエダンサー、ニジンスキー(1890~1950)に出会うなど、バレエ関連の人脈も増える。また、ファッションデザイナーのココ・シャネル(1883~1971)をはじめ多くの人と出会うこととなる。

1915年、コクトーが26歳のときにイタリアの画家モディリアーニ(1884~1920)らモンパルナスの画家との交流が始まる。また、フランスの作曲家エリック・サティ(1866~1925)やスペインの画家パブロ・ピカソ(1881~1973)とも出会っている。

1917年、台本:コクトー、音楽:サティ、美術・衣装:ピカソという、当時の最先端の芸術家によって生み出されたバレエ『パラード』が上演される。

1923年、コクトーが34歳のとき、友人で早熟の天才といわれた小説家・詩人のレイモン・ラディゲ(1903~1923)が20歳で病死。

臨終を看取ったコクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた。

1929年、40歳のコクトーは阿片の療養中に小説『恐るべき子供たち』を執筆。

1936年、47歳のときにコクトーは日本を訪れる。相撲と歌舞伎に感心し、この時観た鏡獅子が、後の『美女と野獣』のメイクに影響したという説もある。

1945年、56歳のコクトーは代表的映画作品『美女と野獣』を監督。

1960年、71歳のジャン・コクトーは「詩人の王」に選ばれる。

1963年10月11日、フランスのシャンソン歌手のエディット・ピアフ(1915~1963)が癌により死去。彼女の親友でもあったコクトーはそれを知って多大なショックを受け、その日の夜就寝中に心臓発作を起こし急死。

ジャン・コクトーは74年の生涯を閉じた。

Jean Cocteau

ジャン・コクトー

フランスの詩人、小説家、劇作家、画家、評論家、映画監督、脚本家。代表作として小説『恐るべき子供たち』や映画監督作品『美女と野獣』などがある。
国: フランス(メゾン=ラフィット)
生: 1889年7月5日
没: 1963年10月11日(享年74)

ジャン・コクトー の名言

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ。

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう。

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ。

先に見出し、後に捜し求めよ。

パリでは誰もが役者になりたがり、見物人に満足するものはいない。

詩人はつねに真実を語る嘘つきである。

青年は決して安全な株を買ってはならない。

ゆっくり急げ。美よりも速く走れ。

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる。

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである。

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように。

美はざっと見てもわからない。

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう。

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる。

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる。

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である。

神童などという言葉は、家族のつくったものだ。

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける。

芸術は、意識と無意識の融合である。

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ。

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ。

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない。

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ。

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される。

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである。

芸術に従って芸術を作ってはならぬ。

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている。

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている。

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである。

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ。

人生は、水平方向に落ちていくことである。

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ。

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである。

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる。この愛らしくも不思議な動物は生き生きとした静けさをかもしだし、王のような気品を漂わせながら悠然とわれわれのあいだを歩きまわり、自分にとっておもしろそうなもの、楽しそうなものを見つけたときのみ足をとめる。

詩人は未来を回想する。

愛することは、愛されること。

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ。

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない。

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ。

手には、物を掴む手と放す手がある。

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている。

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである。

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである。

– END –