INPACT 伊藤博文の名言

伊藤博文の名言

伊藤博文

吉田松陰の松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣や初代韓国統監を歴任。1909年、ハルビンで朝鮮民族主義活動家の韓国人安重根に暗殺された。

Itō Hirobumi

伊藤博文


日本の武士(長州藩士),政治家。
国: 日本・長州藩(現在の山口県光市)
生: 1841年10月16日
没: 1909年10月26日(享年68)

伊藤博文の名言

たとえここ(英国)で学問をして業が成っても、自分の生国が亡びては何の為になるか。

大いに屈する人を恐れよ、いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ。

いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ。

本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない。

私の言うことが間違っていたら、それは間違いだと徹底的に追及せよ。君らの言うことがわからなければ、私も君らを徹底的に攻撃する。互いに攻撃し議論するのは、憲法を完全なものにするためである。くり返すが、長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、討論・議論を究めて完全なる憲法をつくろうではないか。

われわれに歴史は無い。我々の歴史は、今ここからはじまる。

国の安危存亡に関係する外交を軽々しく論じ去つて、何でも意の如く出来るが如くに思ふのは、多くは実験のない人の空論である。

今日の学問はすべて皆、実学である。昔の学問は十中八九までは虚学である。

お前に何でも俺の志を継げよと無理は言はぬ。持って生まれた天分ならば、たとえお前が乞食になったとて、俺は決して悲しまぬ。金持ちになったとて、喜びもせぬ。

現在の日本は地平線から出たばかりの太陽である。暁の雲から出たばかりの太陽は光が弱く、色も薄い。だが、その太陽はやがて中天までくると、全天に輝きわたる。 これと同じように、日本もまもなく世界に雄飛し、日の丸の旗は尊敬の念を持って世界の人々から見られるようになるだろう。

誰が撃ったのか。森(秘書官)も撃たれたのか。

※最後の言葉

– END –