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4月は、人事異動や組織編成の時期です。
新しい職場環境、新しい仕事、新しい人たちと仕事をしていくうえで、期待と不安が入り交じる時期でもあります。職場での「役割」が変わることにより、「肩書」も変わった人も多いのではないでしょうか。
組織のなかには、多くの「役割」があり、それゆえ、様々な「肩書」が存在します。
ビジネスエリートの皆さんにとって「肩書」とは、何を意味するものでしょうか?
あくまでも仕事をする上での役割を示すものなのか、それとも人生そのものを表すものなのでしょうか。
秘書として働いていた時、よくこんなことを質問されました。
「役職の高い人ほど、偉そうにしているものですか?」
「ポジションの高い人ほど、気難しいものですか?」
「人は偉くなればなるほど、偉そうになっていくのですか?」
最初に質問をうけたのは、職場で一緒に働く新入社員の同僚からでした。
後輩:「秘書の人って、ほんとうに大変ですよねぇ」
私:「どうしてそう思うの?」
後輩:「周りにプライドの高い人ばかりいて、いろいろと気遣ったり、細々としたことに気を配ったりして大変ではないですか?」
私:「そういう意味ね」
後輩:「そうです。役職の高い人ほど、プライドが高くて近寄りがたい感じがして…」
私:「えっ、そういうイメージがあるの?」
後輩:「はい、なんだか近寄りがたいし、仕事がしづらいイメージがあります。あっ、私のような新入社員がそんなことを言っていてはいけないですよね(笑)」
私:「そういうふうに感じているのね。でも、実際は、役職の高い人ほど偉そうにしていないものだと思うわ」
後輩:「そうなんですか!?」
このような面白いやりとりをした後輩は、肩書が変わりポジションが高くなればなるほど、鼻高々で横柄な人が増えていくと思っているようでした。
もちろんすべての方にあてはまるわけではないかもしれませんが、これまで秘書として10名のエグゼクティブを補佐してきた私の実体験に基づき申し上げるとするならば、「役職の高い方は、穏やかで謙虚な人が多い」という印象を受けます。
プライドの高い人と仕事をして、「もうこりごり」と嫌になってしまったという経験をお持ちの人もいらっしゃるでしょう。
どのようにプライドとつきあっていくのか、つまり、「プライド」の持ち方しだいで、相手にあたえる印象が大きく変わります。
ここで、「プライド」という言葉を見てみましょう。
「プライド」を辞書で引いてみると、「誇る心、自分を尊び、品位を保とうとする心」と書かれています。
「プライド」とは、「自分への誇り」であり、「自分を尊ぶ心」。
自分に誇りをもっている人は、無理して品位を保とうとしたり、過剰に誇示したりする必要がないので、いつも「自然体」でいられます。
また、自分に誇りをもっている人は、自分の「存在価値」を知っています。
そして、そのことを自分できちんと認めています。
驕ることなく謙虚に、なぜ今自分はここに存在するのか、自分の「存在」の理由をも理解し、受け入れています。
一流のリーダーと呼ばれる方たちは、まさにそういう人たちのことです。
「自信」と「過信」の違いを心得ており、横柄な態度で話しかけたり、偉そうに指示をしたりすることはありません。何かの力を借りて、自分を誇示する必要がないからなのでしょう。
後輩の言う、いわゆる偉そうにしている人たちの多くは、「肩書」の力を借りることで、自分を保っている人たちのことを指しているのだと思います。「肩書」それ自体にプライドをもっている人は、横柄な人が多いのかもしれません。
「肩書」には、人を魅了する不思議なパワーが宿っています。
特に出世をのぞむ人にとっては、ある特定の「肩書」をもつことがひとつの目標になっている人もいるのかもしれません。
ところが、「肩書」は、その組織のなかでの立場を示すものにすぎません。
「住所」がその土地の場所を表すだけなのと同じように、「肩書」は、所詮、記号にすぎません。そのことに気づくのは、退職してからという人も多いようです。
「肩書」ではなく、「自分自身」に誇りをもつ。
「肩書」に誇りをもつのか、「自分自身」に誇りをもつのか、この違いはとても大きいものです。
さて、この「自分自身」に誇りをもつとはどういうことなのでしょうか。
謙虚が美徳とされてきた私たち日本人にとって、「自分」に誇りをもつというのは、少し気恥ずかしいことかもしれません。ましてや、誰かから「自分を尊ぶ心」をもってくださいと言われても、イメージが湧かないものです。
こんなエピソードがあります。
これは、若手秘書だった頃の私とその当時の上司とのやりとりです。
秘書として未熟であった若かりし頃、一所懸命に秘書としてのスキルを身につけようと躍起になっていた姿を見て、上司はこのように言いました。
上司:「頑張っているようだね」
私:「ありがとうございます。まだ、先輩秘書Aさんのようにすぐに対処することができないので、情けなくなることばかりです」
上司:「大丈夫。それは誰もが通る道だからせいぜい楽しむといいよ。1年後には経験したくても、もう経験できないことだから(笑)」
私:「楽しんでと言われても…」
上司:「秘書として働くうえでスキルアップも大切だが、それよりも自分を尊ぶ心をもつことがなによりも大切だ」
私:「自分を尊ぶ心ですか?」
上司:「そうだ、これはどんな職業の人でももつべき大切なことだ。1番大切なことと言ってもいいだろう。なのに、多くの人はスキルや技術などの習得にかかりきりになってしまっていて、自分を尊ぶ心をすっかり忘れている」
私:「(小声で)はい」
上司:「まずは、秘書としての自分を尊ぶ心をもってみなさい。そこが本当のスタート地点かもしれないよ」
今振り返ってみると、本質をついた職業観を示唆していると思いますが、その当時の私には、さっぱりわかりませんでした。
その仕事に従事している「自分」を尊ぶことが何よりも大切だというメッセージは、どんな仕事をしている人にも通じることでしょう。
まずその仕事をしている自分は尊い存在なのだと自分が認識することで、その後の仕事ぶりや成果が大きく変わってくるのだと、その当時の上司は私に言いたかったのです。
外国人のスピーチのなかで、「I am proud of myself.(私は自分を誇りに思う)」という表現をよく耳にします。
職場であれば、プロジェクトを成功に導いた時や賞をもらった時など、小さなことでも大きなことでも何かを成し遂げた時に、「自分」で「自分」をきちんと認めてあげるための表現です。
当時の私の上司が、授賞式の際に登壇し、スピーチの最後にそう言っていたのを今でもよく覚えています。
なぜなら、上司の表情がこれまでになく輝きに満ちあふれたものだったからです。その表情には、困難のなか乗り越えようと頑張ってきた「勇敢な姿勢」と「自信」がありありと映っていました。
自分に小さな拍手をおくってあげるフレーズ、それが、「I am proud of myself.(私は自分を誇りに思う)」です。
自分なりに頑張ってうまくいったのであれば、まずは「自分」が「自分」を褒めてあげることが大切です。
もしも、「こんなに頑張ったのに誰も褒めてくれない」「こんなに努力したのに認めてくれないという」という思いがあるのであれば、周りからの称賛を待つことなく自分で自分を褒めてあげましょう。そのほうがストレスもたまらなくていいですよね。
まずは、自分で自分を心のなかで褒め称えてあげるのです。
たとえば、会社をあげての大きなプロジェクトが成功に終わった時、そのプロジェクトを導いたプロジェクトリーダーが、「いえいえ、このプロジェクトの成功はたいしたことありません」と謙遜しすぎて周囲に伝えたら、どうでしょうか?
それでは、プロジェクトに関わってきたメンバーにとっては、満足のゆく終わり方にはならないでしょう。
「謙虚」であることは美徳ですが、「謙虚すぎる」ことは美徳と言えるのでしょうか。
メンバーの気持ちを考えると、一人ひとりが「有終の美を飾った」と感じられるエンディングとなること、それがなによりも大切なことです。
プロジェクトが成功したのであれば、みんなで喜びを享受する。
それが、一人ひとりが自分自身をきちんと褒め、尊ぶということになります。まずリーダーが、成し遂げた功績について認め自身を尊ぶことで、メンバー一人ひとりが自身を尊ぶことができるようになります。
一流のリーダーたちは、「自分を尊ぶ心」をもち、「自分を尊ぶ喜び」を知っています。
それゆえ、一流のリーダーたちは、まるで「自分らしくあれ」と言わんばかりに、「自分らしさ」を大切にしながら仕事を進めています。「等身大」の自分を周囲に見せることを恐れることなく自信をもって前へと進んでいきます。
誰よりも「自分」が「自分」のことを最も「信頼」しているのです。
自分自身を100%「信頼」できたら、どんなに幸せでしょうか。
「どうせ私にはできない」「どうせオレなんて無理」などと、言葉には出さないまでも心のどこかで思っている人は、自分を信頼していない部分があるということになります。
自分を100%信頼している人は、たとえ一時的に逆境に陥っても、「また何とかなる!自分なら大丈夫!」と、次のステージへと向かっていくことができるのです。
すこしずつ自分との信頼関係を深めていきたいですね。