升田幸三の名言

魅せる将棋を大切にし、既成の定跡にとらわれず数々の新手を指し、「将棋というゲームに寿命があるなら、その寿命を300年縮めた男」と評された。升田幸三の棋風を慕う棋士は多く、羽生善治も将棋を指したい人は誰かと言う問いに「升田先生」と述べている。
1956年、大山康晴名人との王将戦で、名人を香落ちに指し込み、勝利。後にも先にも、名人を相手に香車を引いて対局をしたのは升田幸三ただ一人であり、名人に香車を引いて勝ったのも升田幸三のみである。
魅せる将棋を大切にし、既成の定跡にとらわれず数々の新手を指し、「将棋というゲームに寿命があるなら、その寿命を300年縮めた男」と評された。升田幸三の棋風を慕う棋士は多く、羽生善治も将棋を指したい人は誰かと言う問いに「升田先生」と述べている。
1956年、大山康晴名人との王将戦で、名人を香落ちに指し込み、勝利。後にも先にも、名人を相手に香車を引いて対局をしたのは升田幸三ただ一人であり、名人に香車を引いて勝ったのも升田幸三のみである。
日本の将棋棋士、実力制第四代名人。
国: 日本(広島県双三郡三良坂町/現在の三次市)
生: 1918年3月21日
没: 1991年4月5日(享年73)
人生は将棋と同じで、読みの深い者が勝つ。
イチかバチかのやけっぱちみたいなことをやるのを、勝負師という人があるが、これは間違いです。そういうのは勝負師とはいわない、賭博師という。
時代は変わっても、人間を磨くのは目的に挑戦する苦労だということは変わりません。いまの人も苦労はしてるが、それは物欲を満たす苦労で、自分独特、独創の苦労ではない。どんな世界でも同じだと思う。プロとアマの違いはアマは真似でも通用するが、プロの道は独創。またそうでなきゃ通用しない。だから苦しいが喜びも計り知れない。
一人前になるには50年はかかるんだ。功を焦るな。悲観するな。もっと根を深く張るんだ。根を深く張れ。
一心になれる人というのは、自分の人生を完成しますな。世にいう成功者の秘訣というのは、これじゃないかと思う。
大切なのは創造です。人真似を脱し、新しいものをつくり出すところに、進歩が生まれる。
せんじつめていえば、そのもっている欠点を長所にする。これがプロの芸ということになるわけです。
踏まれても叩かれても、努力さえしつづけていれば、必ずいつかは実を結ぶ。
男は毬であってはならぬ。ちょっと頭をなぜられてはポンとはずみ、指一本触れただけで転がる。はずみそうではずまず、転びそうで踏みとどまるものを持っていなければ男ではない。
私は将棋は創作だと考えている。何はともあれ、一歩先に出た方が勝つ。もし一局ごとに新手を出す棋士があれば、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ1秒の何分の一でもいい。専門家というものは、日夜新しい手段を発見するまでに苦しまねばならぬ。
着眼大局 着手小局
※好んで書いた言葉
勝負は、その勝負の前についている。
全局のことでも、また局部、局部のことでも、その一手の差を慎重に、そして最善をつくす人が、「勝ち」にゆくわけで、一手ぐらいなどといって、気楽にしとるやつが、結局は敗北につながる。
棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある。
人はだれでも特異な存在であり、無から有を創り出す力を授かっている。
錯覚いけない、よく見るよろし
アマチュアは駒を動かしただけなんです。「指した」ということとは別のことですよ。
やっぱり狙いをつけた一心さ、ですね。 そういうときは、かりに失敗しても、非常にいい経験というか、つぎの知恵になります。
僕には不利だ、不可能だといわれるものに挑戦する性癖がある。全部が全部成功するわけではないけれど、それが新型になり、新手を生み、つまり将棋の進歩に繋がる。他の人は安全に先を考えるから先輩の模倣を選ぶ。
歩は素晴らしいものだよ。敵の陣地に行けば金になるけど相手に取られると歩に戻る。こんな合理的ないいものはない。これをうまく使えるやつが名人だ。
たどりきて未だ山麓
まぁ生まれ直す事があったらね、2つから3つぐらいまでに将棋を覚えて、もういっぺんやり直してみたいと。今度は丈夫な体でね、名人を角落ちぐらいでね、からかってみるのも面白いと、こう思う。
おれがにらめば、横には動けぬ銀でも横に動くのだ。
– END –