ヘミングウェイの名言

1899年7月21日、アメリカ中西部のイリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)に6人兄弟の長男として生まれる。
医師の父は活動的な人物で、ヘミングウェイは釣りや狩猟、ボクシングなどの手ほどきを受けた。母は元声楽家であった。
高校卒業後、ヘミングウェイは18歳でミズーリ州の地方紙の見習い記者となるも退職。翌年、赤十字の一員として第一次世界大戦下の北イタリア、フォッサルタ戦線に赴き、重傷を負う。
戦後はカナダ・トロントの新聞社のフリー記者をつとめ、特派員としてパリに渡る。
ヘミングウェイはパリで画家や詩人たちが集うサロンを開いていたアメリカ人作家ガートルード・スタイン(1874~1946)らとの知遇を得て、小説を書きはじめる。
ヘミングウェイは行動派の作家であり、スペイン内戦(1936~1939)にも積極的に関わり、その経験を元に『誰がために鐘は鳴る』、『武器よさらば』などの長編小説を発表した。
ヘミングウェイの短編には簡潔文体の作品が多く、レイモンド・チャンドラー(1888~1959)など、後に続くハードボイルド文学の原点とされている。
1952年、53歳のときに『老人と海』を発表し、高い評価を得る。1954年にはノーベル文学賞を受賞。
しかし、同年、ヘミングウェイは二度の航空機事故に遭う。二度とも奇跡的に生還したが、重傷を負いノーベル賞の授賞式には出られなかった。
以降、ヘミングウェイの売りであった肉体的な頑強さや、行動的な面を取り戻すことはなかった。
晩年は事故の後遺症による躁うつ病に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていく。
1961年7月2日、ヘミングウェイはショットガンで自殺。61年の生涯を閉じた。
ヘミングウェイの生み出した独特でシンプルな文体は、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。