ボブ・ディランの名言

1941年5月24日、アメリカ中西部のミネソタ州ダルースに生まれる。生まれたときの名前はロバート・アレン・ジマーマン。後に本名もボブ・ディランに改名。
祖父母は現在のウクライナやリトアニアからの移民で、両親はアシュケナジム(東欧系ユダヤ人)の一員であった。
幼少時、ボブ・ディランは家にあったピアノを独習。レコード店に入り浸り、ギターやピアノを弾いて育つ。
高校時代、ロカビリー全盛期のときにエルヴィス・プレスリー(1935~1977)らにあこがれバンドを始める。
18歳でミネソタ大学に入学。半年後には授業に出席しなくなり、ミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始める。この時にボブ・ディランと名乗る。
「ボブ」は自身のロバートの愛称ボビーから、「ディラン」はイギリスの詩人ディラン・トマス(1914~1953)にちなむといわれる。
1961年、20歳のときに大学を中退。ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブなどで弾き語りを始める。
彼はコロムビア・レコードにその才能を見出され、1962年3月にアルバム『ボブ・ディラン(Bob Dylan)』でレコードデビュー。
1963年5月にセカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin’ Bob Dylan)』をリリース。同年7月、ピーター・ポール&マリーがカバーした「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」がビルボード2位のヒットを記録。
1963年8月28日、ボブ・ディランはキング牧師らによる人種差別撤廃を求めるワシントン大行進で演奏。公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいてディランは「フォークの貴公子」として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされるようになった。
1964年1月、アルバム『時代は変る(The Times They Are a-Changin)』をリリース。
しかし、過激化する運動や世間が抱いている大げさな自分のイメージに違和感を持ち、次第にスタイルを変化させ、次のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(Another Side of Bob Dylan)』(1964年)では、プロテストソングと呼べる曲はなくなっている。
その後、ボブ・ディランはビートルズやローリング・ストーンズなどの英国のミュージシャンと交流。1965年頃のジョン・レノンはボブ・ディランに傾倒し、作風から精神面、スタイルに至るまでディランに触発されたという。
ボブ・ディランも英国のミュージシャンたちに刺激を受け、『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』などエレクトリック楽器を取り入れた作品を発表。従来のフォーク・ソング愛好者、とくに反体制志向のプロテストソングを好むファンなどはこの変化を「フォークに対する裏切り」ととらえ、賛否両論を巻き起こした。
1962年のレコードデビュー以来、多大なる影響を人々に与えてきたボブ・ディラン。現在も「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心に活躍している。
ボブ・ディランはロックの殿堂入りも果たし、2012年にはアメリカの文民最高位の勲章である大統領自由勲章を受章。
2016年、歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞している。