マリリン・モンローの名言

1926年6月1日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる(本名はノーマ・ジーン・モーテンソン)。
両親は2歳のときに離婚。母は映画製作会社の仕事をしていたが精神病を患い、母の親友がマリリンの保護者になった。その保護者が1935年に結婚すると、マリリンは9歳で孤児院へ、その後は養家へ連続して送られたという。
第二次世界大戦下、16歳のときに高校を中退して結婚。夫はその後海軍に徴兵され、独りになったマリリンは航空機部品工場に就職。
第二次世界大戦末期、19歳のときに工場で働いていたマリリンの写真が陸軍の機関誌に掲載されたことを機にハリウッドへの道をたどることになる。
20歳のときに20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格。「マリリン・モンロー」という芸名で契約。夫はモデル業に理解を示さず二人は離婚。
27歳のときに出演した映画『ナイアガラ』で腰を振って歩くモンロー・ウォークが注目を集め、続く『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』『七年目の浮気』が大ヒット。一躍トップスターとなる。
1954年、ニューヨーク・ヤンキースで活躍したジョー・ディマジオと結婚。新婚旅行では日本を訪れている。
1955年、関係が悪化していたディマジオとわずか9か月で離婚。翌年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚するが、翌年から精神的に不安定な状態が続き、流産も経験。
1961年にミラーと離婚。離婚に先立つ1959年頃からジョン・F・ケネディ大統領と肉体関係にあった。
1961年に不安定になり再び精神病院に入院。この時、よりを戻した元夫ディマジオが彼女を支えた。
1962年8月5日(36歳)、自宅の寝室で死亡しているのが発見され、世界に衝撃・悲嘆が駆け巡った。死因は、睡眠薬による自殺説や何者かによる謀殺説などがある。
葬儀はディマジオが取り仕切り、参列者は生前にモンローの世話などをしていたごく一部の関係者など小規模な葬儀であった。ハリウッドの映画関係者は1名も呼出しはなかった。
なお、ケネディはモンローの死の翌年11月に凶弾に倒れている。