ココ・シャネルの名言

1883年8月19日、フランス南西部オーヴェルニュ地方で生まれる。11歳のときに母が病死、行商人の父にも捨てられ、孤児院や修道院で育った。
18歳で孤児院を出た後、お針子仕事の傍ら、歌手を夢見てキャバレーで歌うようになる。「ココ」は愛称で、当時歌っていた曲名にちなんでつけられた。
シャネルは歌手を目指してオーディションを受けるも、落選が続いたため芸能界への道はあきらめ、当時交際していた将校とパリ郊外へ移る。そこで退屈しのぎで制作していた帽子のデザインが認められ、将校の援助により、1909年、パリのマルゼルブ大通りで帽子のアトリエを開業。
1910年、パリのカンボン通りに帽子専門店を開店。1915年、「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、翌年コレクションを発表し大成功を収める。1921年には、シャネル初の香水「No.5」「No.22」を発表した。
1939年、大企業として成長した「シャネル」だったが、労働者側がストライキを敢行して対立、シャネルは一部店舗を残しすべてのビジネスを閉鎖、一時引退する。
第二次世界大戦中の1940年、フランスがアドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍に占領され、親独のヴィシー政権下となった際、シャネルはドイツの親衛隊少将と愛人関係にあったため、フランス解放後に非難を浴びて、スイスへ亡命。
1954年、スイスでの亡命生活を終えパリに戻ったシャネルは、ファッション界へ復帰を果たす。ヨーロッパではバッシングを受けたが、女性の社会進出がめざましかった米国では熱狂的に受け入れられ、翌年シャネル・スーツを発表、モード・オスカー賞を受賞する。
1971年、コレクションの準備中に87歳で没した。第二次世界大戦中の裏切り行為によって、シャネルの亡骸は高級墓地への埋葬を拒否され、亡命生活を送っていたスイス・ローザンヌの墓地に埋葬された。遺言により、墓石の周りには白い花が咲き乱れている。