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徳川家康の名言

徳川家康

1543年1月31日(天文11年12月26日)、戦国時代中期に三河国の土豪である松平氏の当主・松平広忠の嫡男として岡崎城(愛知県岡崎市康生町)に生まれる。家康の幼名は竹千代。

竹千代が4歳のころ、父の広忠は織田氏に対抗するため駿河国の今川氏に従属し、忠誠を示すため竹千代を人質として差し出す。しかし、家臣の裏切りにより竹千代は今川氏と対立する織田氏へ送られて人質となる。

2年後、父の広忠は家臣の謀反によって殺害される。竹千代は人質交換によりあらためて今川氏へ送られ、忍従の日々を過ごす。

1555年、12歳の家康は駿府の今川氏の下で元服。1557年、14歳の家康は瀬名(築山殿)と結婚。

1560年、家康が17歳のときに桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれる。家康は信長と同盟を結び、三河国・遠江国に版図を広げていく。

1572年、将軍・足利義昭の織田信長討伐令の呼びかけに応じる形で甲斐の守護大名・武田信玄が甲府を進発。

武田軍に対峙した徳川家康は、1572年の二俣城の戦い(徳川軍と武田軍の戦い)、1573年の三方ヶ原の戦い(徳川・織田連合軍と武田軍の戦い)で敗退。しかし、信玄は三河で病を発し、信濃で病死。

1582年、家康が39歳のとき、本能寺の変により信長が自害。その後、勢力を伸張した豊臣秀吉と家康の対立が深まり、1584年の小牧・長久手の戦いで秀吉と対峙。家康は軍略的には勝利したものの政略的には後れをとり、豊臣氏に臣従することになる。

1590年、家康が47歳のとき、小田原征伐において北条氏が滅亡。家康は秀吉から関東への領地替えを命じられたが、豊臣政権の下で最大の領地を得、五大老の筆頭となる。

秀吉没後の1600年、57歳の家康は関ヶ原の戦いにおいて勝利。1603年、60歳の家康は征夷大将軍に任命され、江戸城に幕府を開く。

家康は全国を支配する体制を確立し、応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代に終止符を打った。

1616年6月1日(元和2年4月17日)、徳川家康は73年の生涯を閉じた。家康の開いた江戸幕府は明治維新まで264年間続く。

Ieyasu Tokugawa

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戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。
国: 日本(現在の愛知県岡崎市)
生: 1543年1月31日
没: 1616年6月1日(享年73)

徳川家康の名言

人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。

勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。

世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。

多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。

得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。

天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。

重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ。

家臣を扱うには禄で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。

我がために悪しきことは、ひとのためにも悪しきぞ。

不自由を、常と思えば、不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。

およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。

あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。これが秘伝である。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。

いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。

いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。

一手の大将たる者が、味方の諸人の「ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)」を見て、敵などに勝てるものではない。

家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。

道理において勝たせたいと思う方に勝たすがよし。

願いが正しければ、時至れば必ず成就する。

滅びる原因は、自らの内にある。

及ばざるは過ぎたるより勝れり。

決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。

人は負けることを知りて、人より勝れり。

人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず。

最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。

敵だというのも自制心を忘れた怒りである。

人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。

多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。

大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。

最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。

人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。

平氏を亡ぼす者は平氏なり。鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。

己を責めて、人を責むるな。

われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。

愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。

大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。

真らしき嘘はつくとも、嘘らしき真を語るべからず。

怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。

われ独り出頭して、一人して事を埒あけたがるように致す、これ大なる病なり。

– END –